敗戦は運ではないー(武田信玄)

◎敗戦は運ではない

戦国武将:武田信玄

 人は生きていく中で、誰でもさまざまな難関に直面します。志望校や憧れの会社に受験することもそうですし、今ある自分の店や会社、工場などを維持し、発展させることもそうです。好きな人との恋愛を実らせ、平和な結婚生活を営むことも、ある意味では難関への直面といえましょう。

しかし物事は総て順調にいくとは限りませんから、志望する学校や会社の試験に失敗することもあれば、苦労して入社した会社が倒産することもあります。失恋することも、結婚生活に破たんが生じることも少なくありません。

こういう時、人はともすると弁解をしがちです。体調が悪かったとか、社会全体が不況なので仕方がないとか、近くに大規模な競争相手が進出したためだとか、物事を自分に都合のいいように正当化したがるのです。

戦国時代の武将である武田信玄(1521~73)は、次のように言っています。「負けまじき戦に負け、滅ぶまじき家の滅ぶるを、人、皆天命という。それがしにおいては、天命と思わず。みな仕様の悪しきがゆえと思うなり。」……戦に負け、家が滅亡するのを、よく人は天命 ー 運が悪かったのだと運命のせいにしますが、信玄はそれを頭から否定しています。けっして運の良し悪しではなく、自分の仕様、やり方が悪かったせいだというのです。失敗には必ず原因があります。その原因に気づかず、放置しておいた自分に責任があるのだと信玄は指摘しています。

信玄はこうも言っています。「戦い勝事、是誉(これほまれ)なりといえども、国の仕置き悪しければ、国忽(たちまち)に乱る。」いくら戦争に勝って新領地を得ても、人と人とのつながりや、福祉・経済政策などに目が行き届かなければ、国は安定しない。それは成りゆきではなく、上に立つ者の努力が足りないせいだと信玄は言うのです。<例話大全書より>

今日のことば(38)「人は石垣、人は城…… 、 欠点を長所に変える」ー武田信玄(甲斐の戦国武将)ー

◎ 「人は石垣、人は城」……、欠点を長所に変える。 句全体では「人は石垣、人は城、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」とある。(江戸時代に書かれた「甲陽軍艦」に出ている言葉)

戦国武将 武田信玄

 甲斐の国の戦国武将、武田信玄の名言として知られているが、信玄は人使いのうまさでも知られ、次のようなエピソードもある。

武田家の家中で、岩間大蔵左衛門という武士がいた。大変な臆病者で刃物屋の看板を見るだけで体が震えだすという有り様であった。豪気が身上の戦国時代のことゆえ、臆病者は軽蔑もされるし、存在価値も認められない。そこで重臣たちは、少しでも勇気をつけてやろうとして、合戦のとき、大蔵左衛門を最前線に立たせたりしたが、怯えて逃げ帰るか、恐怖のために引きつけを起こすので、つくづくあきれ果て、「あんな者は、武田家の恥辱でございます。即刻追放なされませ」進言する次第であった。

しかし信玄は、大蔵左衛門を見捨てなかった。「いや、少し待て。臆病というのは、ただ小心者というだけでなく、気持が細やかなことにもよるのだ。その特性を生かしてやれば、まだまだ使い道はあるはずだ」信玄は考えた末、大蔵左衛門を「訴人係」に命じた。訴人係というのは、家中の動向を探り、不正や悪事があれば上司に報告する、いわゆる「隠し目付」に似た役回りである。その後、家中は緊張することになった。大蔵左衛門のような小心者は、細かいところにもよく気がつく。それをいちいち書き立てられて、信玄に報告されたらたまったものではない。家臣たちは緊張して、常に心を引き締めるようになったそうである。

表題にも掲げているように信玄は「人は石垣、人は城」という名言を残しているが、人には必ずどこかに取りえがあるもので、その長所を発見して、適材適所に配したところに、信玄の偉大さがあったと言えよう。<日本例話大全書より>

以上です。