「あとがき」=生かされている意味さがし(97)

97 あとがき=生かされている意味さがし(97)

いかがでしたか?

実は、人生の中で「思想」とか「宗教観」というものを真剣に考えたい!考えをまとめたい! と若いころから思っていました。

一方で、この手の話はともすると哲学的な土台があっての考察となるでしょうし、生きてきた経験のなかで摑み取るものもあるので、そう簡単な作業ではないと思っていました。

なによりも、「思想とか宗教を軽々しく口にする」というのは、知人・友人を激減させることにもなりそうですし、多神教かつ仏教を崇拝する日本人としては、一つの宗派・崇拝者を選択しなければならないような窮地に追い込まれる要因にもなります。

やはり自分としては、盆と正月に神棚に向かい、クリスマスを堪能し、富士山のご来光に畏敬の念を抱きたいのであります。

この「筋の全く通らない宗教観」がまた日本人らしいと思いますし、その曖昧さがとても私の身体にフィットするのです。

結果として、神様・仏様も大事。教えも大事。でも「自分がもっと大事」という我が儘な究極のエッセイのような仕上がりになってしまいました。

予想されていたことではありますが、やっぱり、出来もしないことに挑戦するというのは、身の丈を知らない愚者にほかなりません。

と言いつつ、好きな事を書いたこの本を読んでみたみなさんが、「まぁ、分かる部分もある」「そうそう、そういうこと」と、首を縦に二つ三つ振ってくれれば儲けもの、という力の入れ具合での完成品です。

003一服の清涼剤として読んだあとはブックオフに持って行って頂ければ、五円か十円位にはなるかもしれません。

感謝

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

随想

「オトコかオンナか」=生かされている意味さがし(96)

96 オトコかオンナか=生かされている意味さがし(96)

「やる」「やられる」「撃つ」「撃たれる」「抱く」「抱かれる」……。少々卑猥な話をしますが、ともすると男女共同参画社会では差別用語になりかねないこれらの言葉は、能動的か受動的かというスタンスを分かり易い男女の営みに例えて遠回しに表現したものです。(失礼)

そういう話にもっていきたい訳ではなく、この次(来世)に「男」として生まれたいか「女」として生まれたいか? という議論と考察の導入で書いたものでありますので、どうぞお許しください。

さて、こういう話を真面目にやると肩苦しいので、大抵は酒の入った席で、「あなたはどっち?」と聞くとその人の人生観が判かります。

仲のよい異性が集まってアルコールがまわると「それはどうして? 何故?」と聞くと、躊躇することなく、<日頃の思い>と答えが返ってきます。

男性として「女を守らなければならない」という正義感から挫折して、「いっそ女に生まれたかった」と嘆く男。「堂々と股を開いて歩ける男がいい」と深く考えず豪放磊落な男の人生を渇望する女。

中には、「立ちションが出来る男っていいよね! 羨ましい」と自ら卑猥な世界に引き込もうとする大胆な女性もいたりして……。

その昔、高校のトイレに落書きがしてありました。

「女の一生モーパッサン、男の一生もうたくさん!」

授業で挫折し、部活で怒られ、先輩にはトイレに呼びこまれ、イジラレた学生が半べそかいてこのイタズラ書きをしたのでしょうか。

フランスの作家モーパッサンの書いた『女の一生』が分かるくらいなら、もう少し勉強して壮大な男の人生とロマンを夢見て欲しかったと思ったものです。

かくいう私は……、もちろんこの次も男ですわ! だって女の自分を想像したくないし……。

あっ、そうそう、そもそも次に人間に生まれてくるかどうかが一番の問題です。百年後の庭先の「イモムシ」が私かも知れませんし。(笑)

両方の性にそれぞれ優位性と劣性があって、補完しあって生きているし、また憧れる部分もあるでしょう。一方で長く生きているとその人生を肯定したり容認したりすることが多くなるから、男は「男」、女は「女」を選択するのかも知れません。

妻の日常の気遣いや慌ただしさを見ていると、とても女性の真似など出来ませんが、半分口を開けて爆睡している妻の寝顔を見つつ、「このオンナを俺が守らず誰が守るのか?」と、ふと考える自分も「大した男」なのであります。

003繰り返します。「オトコ」で良かったぁ~。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

随想

「老いる不安」=生かされている意味さがし(95)

95 老いる不安=生かされている意味さがし(95)

義母の認知症が始まりました。二年前位に、「あんたは誰だったかのぉ~」と言われ、「お義母さん松谷です」という会話が始まりでした。

その時は、「暗かったから良く分からなかった」と笑い話で終わりましたが、今日は近所の知人から電話あり、自宅から二百メートルも離れていないところで迷子になっていたらしく、「恥ずかしいが家の近くまで連れて行って欲しい」と別のご近所の方にお願いしていた! というのです。

容易に想像できることなのですが、身辺自立は出来ているのでまだ大きな負担にはなっていないようです。ご近所の皆さんには、会う人会う人に同じ話を長時間するというご迷惑もかけているらしいのです。

さて、実夫なり義母なりの認知症の心配をしている場合でなく、当の自分も、「海馬が萎縮している」のではないかと心配する年代になってきました。

突然、問い質されると、「昨日の夕飯は思い出せても、今朝の朝食が思い出せない」なんてこともあったりなかったりします。

親父には、「何回も同じ話を聞いたよ!」と呆れながらも伝えていますが、我が子達からも、「おとう、前にもその話を聞いた」と言われることもあります。かなりの危険信号ですね。

「忘れる」ということがとても不安に思えて、ストレスとなって海馬を萎縮させ、本当に物忘れが進行してしまうのでしょうか。

ある学者さんは、「忘れてもいいんです」というけれど、そりゃ出来れば覚えていたいし、対人関係や、仕事の話は簡単に忘れた! とは言えませんよね。

こういう不安にどう立ち向かっていくのか、残念ではあるけれど症状が具体的になったとき、家族と共にどう向き合っていくのか……。若い頃気にもしなかった人生の重圧がそっと忍び寄っています。

003この本を書こうと考えたきっかけのひとつでもあるのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

随想

「生活のリズム」=生かされている意味さがし(94)

94 生活のリズム=生かされている意味さがし(94)

五十歳までバリバリの保育士だった妻が、何故かここ数年衆議院議員や県議会議員選挙が始まると候補者事務所の応援に駆り出されています。

別にウグイス嬢をやっているわけではありませんよ。だって、保育士を辞めた(辞めさせた)理由が、「声がしゃがれてて、歌が唄えない、ピアノが弾けない、(歳で)踊れない…」でしたから。

いやいや本人は、「大切な未来の子ども達に対して(こんな)自分が保育をしていく責任と自信がない!」という立派な理由を述べていますが。(笑)

話を戻して、地元のある政党の支部長が幼なじみで、「人がいないから電話番に来てくれ!」がきっかけで、結果、名簿づくりや他の支部との調整、選挙が始まると事務所に来られる方の対応などをしているのです。

歳をとってパソコンなど勉強しなくても、と思いながら本人が希望して通っていたOA教室の成果がここで花開くこととなったのです。これも、「こうなるようになっていた!」と思えるような行動だったのです。

さて、選挙戦が始まって街宣車が戻ってくるのは八時過ぎ、そこから夕飯やお茶の用意をして片付けをして帰宅するのが十時を過ぎます。そこからウグイス嬢の手袋やバスタオル(街宣車は窓を開けっ放しなので雨の日も寒い日もタオルが必要らしいのです)を洗濯します。

翌日の朝には、乾いた洗濯物を街宣車が出発する前に用意する必要があるからです。就寝は十二時を過ぎているかも知れません。朝の五時前に起きて六時前には家を出て選対本部に向かいます。

ここで問題なのは私本人。基本九時間睡眠をとらないと体調管理が出来ない自分としては、夜中にトイレに起きたとき、脇にいる妻の寝顔を見るだけで「動いている妻」を確認することはありません。ほぼ事実上、別居状態の期間が続きます。

元来、料理は得意なので食に関して不自由は特段感じないのですが、妻がいないと夕食を作る意欲も湧かず、食べる気力も無くなります。

朝は食事を抜くか、コンビニのパンを一個。夕飯は出来合わせの食べ物を買ってきて「瓶ビール」を飲まずに「缶ビール」で簡単に済ませてしまいます。

一緒に食べるから美味しいし、美味しいものを食べさせたいから料理をつくる!ということが選挙戦の間に判るのです。

仕事で疲れて帰ってきて、縁側のカーテンを閉め、回覧板を隣のお宅に届け、浴槽の水抜き栓を戻して入浴の準備をします。単身生活の方は何の苦もないと思いますが、長年夫婦でやってきた作業分担がその間大きく変化してしまいます。

生活のリズムが完全に乱れてしまうのですから、当然、このことが仕事に影響しないはずはありません。どうもいつもより脳に行く血流が不足がちに感じてしまいます。バランスの取れた食事ときちっとした生活のリズムが、健康で元気に仕事ができる秘訣だと思い知らされるのです。

昔、夏休みの過ごし方で、まず円グラフを作って「起床」「体操」「食事」「家の手伝い」「宿題」…と書きつつ、「この通りできるわけがない!」と色鉛筆で塗りながらぼやいていた私は、やっと生活のリズムの大切さが分かったのです。小学校六年生の担任、故竹田先生「ありがとう」って。

とにかく、選挙が終われば夫婦としての元の生活が待っています。

003でも、それは当選した場合で、落選すると関係者はその落込みからの回復に時間がかかるそうです。ですから、夫としては「必勝! 当選」を祈念しているのです。(笑)

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

随想

「人生が変わるきっかけ」=生かされている意味さがし(93)

93 人生が変わるきっかけ=生かされている意味さがし(93)

今朝のテレビで「人生の転機」についてインタビューをしていました。「子どもが産まれたとき」「一人で学生生活を始めたとき」「就職したとき」と色々ありましたが、「幼稚園の発表会で……」という女性がいて、その年齢で「転機」と答えたのには少し驚きました。(笑)

人それぞれに転機はあると思います。それも大きな転機は思い出せるのでしょうが、小さな転機は「う~ン!」と考えてしまいますよね。なかなか人生の変化を「転機」と言う言葉で記憶していないせいだと思うのです。

私は、ごくごく些細な日常の判断も人生の転機なのかも知れないと思うのです。それは仏様や神様の必然的な導きや試練かも知れない! というのは、この本でも書いていますが、ちょっとしてことで、人生なんて大きく変わるものです。

今朝、バスに乗り遅れた人、風邪で会社を休んだ人、朝食にご飯がなかったのでパン食にした人…。すべて日常の話です。

バスに乗り遅れた人は、「朝からつまづいたな」と思ったでしょうけど、本来乗るべきだったバスが十分後に事故に遭っていたかも知れません。

風邪で会社を休んで、いつもの病院が休診になっていて、やむなく違う医院にいったら微熱に加えて、脈拍が二倍になるような看護師さんに出会って結婚するかも知れません。

パン食でお腹が満たされなかった貴方は昼のグルメ番組に触発されて、午後から退職願いを書いて築地の寿司屋に修行を決めるかも知れません。

毎日のちょっとした「き っかけ」「転機」で、人生は本人の意図する方向には行かないものです。そして、そのことが決して悪い方向ばかりには行かない! ということです。誰かさんに仕組まれた「人生」だから、本人が計画していない「転機」があると思うのです。

私は大きな転機が三つ。十五歳で高校受験に失敗し、人格が変貌したとき。二つ目は職場で良い上司に沢山出会って、仕事の仕方や生き方を教えてもらったこと。三つ目は自分の能力を過信して、公務員から民間企業に就職したときです。

003「大きな転機だった……」と笑いながら語っている将来の自分を目指しています。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

随想