「身体の警告音」=生かされている意味さがし(73)

73 身体の警告音=生かされている意味さがし(73)

「還暦」という言葉は他人事のように思っていましたが、来年が六十歳ということなので、既に周りからみれば「還暦のじいさん」であります。

いつも、自分の脳の指令や、思考回路は四十歳前の壮年期に届くか届かないかのレベルだと思っているのですが、相反して長年仕事にかまけて体力維持に時間を割かなかった身体の方はボロボロになりつつあります。

ですから最近、あまりにも身体からの警告音が多すぎるように感じるのです。手足の先や関節の痛み、頭痛、内臓の安定しない調子、視力の低下、口腔の衰え……。

健康志向の現代は、新聞テレビなどで気にもかけなかった! というより知らなかった病気や疾患の話題で溢れ返り、逆に自分の身体の変調に対して過敏にさせられることになります。

生活習慣の見直しやサプリメントの摂取なども、もはや食事どころか、洗顔、歯磨き、排尿・排便と同様に日常のルーティンになってきています。

それでも、「病」は忘れずにやってきます。生きて、老いたら逃れられない宿命でもあります。ちゃんと向き合わなければいけないのに、出来れば、避けて目をつむって通り過ぎたい関所でもありますね。

若い頃に考えもしなかった身体の痛みや身体の老化に、今後の自分を考える時間が多くなったようにも思うのです。

さて、これから試されるのは、老後を目の前にして、「年齢と身体に適った自分の生き方」ができるかどうかです。「若い若い」とおだてられて、「よし、昔に戻ってテニスクラブでも通ってみよう」とか、「東京マラソンでも挑戦してみようか」と考えて実践すれば必ず身体が悲鳴をあげてしまいます。

逆に、「無理せず身体を労わりながらゆっくり生きていこう」と考えると、当然老化は加速していくでしょう。

003難しいところですが、身体の変化を意識しながら、「寝たきりにならない健康の維持」について最大の努力をする時期が来ています。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

随想

◎西部方面隊・秋季演習(H29.10.1.日)=柏崎消防団

◎西部方面隊・秋季演習(H29.10.1.日)=柏崎消防団

・柏崎消防団西部方面隊の秋季演習が、鯨波小学校グランドを会場に、整然と規律正しく行われました。

・通常点検 ・部隊訓練=停止間、行進間 ・ポンプ操法訓練 ・走行・放水訓練 ・分列行進

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行事

◎経済活性化の視点と財政運営について=一般質問項目別全問④(荒城彦一議員)=柏崎市議会9月定例会議

◎経済活性化の視点と財政運営について=一般質問項目別全問④(荒城彦一議員)=柏崎市議会9月定例会議

地域経済の活性化にとって、行政運営の占める役割は非常に大きい、と申しげる事が出来ると思います。例えば、柏崎市の市内総生産をザックリと3,100億円とすると、それに対する割合は、(予算ベースで見て)一般会計で約15%、これに企業会計、特別会計を加えると、29%を占めます。つまり、行政の予算執行はそのさじ加減一つで、大きく地域経済に影響してくると思います。

私は6月定例会でこの視点から「第5次総合計画と財政運営について」質問をしました。その中で「メリハリある予算執行」と「縮小予算より増額予算を」という提案をしました。

これに対する市長の答弁は「予算にメリハリをつけることに関しては自分もそうしたいと思っている。しかしながら、限られた予算の中では限界がある」また「平成29年度予算については、12月6日就任時点では、ほぼ90%が固まっていた。」「自分の公約を差し込めたのは10%有ったか無かったか位である」という意味の内容だったと思います。つまり、自由裁量の予算確保の難しさを言われたのであろうと思います。

そして、「縮小予算より増額予算を」ということに関しては、「人口減少の流れや」1例として、「第五中学校の建設費前倒し、借換債や中越沖地震被災住宅制度融資などによるもので、実質は前年度と変わっていない」という答弁でした。その上で、「上げ潮派、財政規律派」という分け方をすれば、「自分は財政規律派で在りたい」とも言われました。

以上のことを頭に置きながら質問ですが、3点お聞きします。

  1. 平成29年度も半分を経過しようとしていますが、ここまでの経緯の中で、地域経済の活性化に繋がる執行が出来てきているか?
  2. どのような課題が見えてきているか?
  3. 以上の点を踏まえて、新年度予算編成方針も視野に、桜井市政の基本的予算執行の考え方について。

「経済なくして福祉なし、経済なくして教育なし、経済なくして市民生活の幸せはない」と申し上げておきたいと思います。 アベノミクスは好景気を持続していると言われています。また、人手不足は深刻で「仕事はあるが人がいない」状況が続いているということであります。これに加え「オリンピック重要が追い打ちをかけている」という現状があります。製造業を中心に「産業界は活況を呈している」と言う話もあるようです。しかしながら、「柏崎地域の元気度」はまだまだという感じがしています。私は財政運用で背中を押す時だと思います。ご答弁を求めます。

以上

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政治

日本の国産自動車の歴史

•1904年 山羽式蒸気自動車(国産第1号)
•1907年 有栖川宮威仁親王殿下がオートモビル商会を設立
日本車初のガソリン自動車「タクリー号」
•1907年 発動機製造株式会社が設立
→ダイハツ
•1909年 鈴木式織機製作所が設立
→スズキ
•1910年 東京瓦斯会社(東京ガス)機械部門がトラック生産を開始
→日野自動車、いすゞ自動車
•1911年 快進社自動車工場が設立
日産の源流
•1912年 白楊社が設立
トヨタの源流
•1914年 快進社が国産乗用車の第1号「ダット号」完成
•1917年 三菱造船(三菱重工業)として独立、乗用車生産開始
→三菱自動車
•1920年 東洋コルク工業株式会社が設立
→マツダ
•1925年 快進社解散
→技術者は日産へ
•1926年 ダット自動車製造株式会社が設立
「ダットサン」誕生
•1927年 東洋コルク工業が東洋工業株式会社に社名変更
•1928年 白楊社が閉鎖
→技術者はトヨタへ
•1931年 ダット自動車
戸畑鋳物株式会社(日立)の傘下に
•1932年 ダットサン商会が設立
日産の前身
•1933年 豊田自動織機製作所自動車部が設立
トヨタの前身
•1934年 自動車製造株式会社が日産自動車に社名変更
•1937年トヨタ自動車工業株式会社として独立
•1937年 東京瓦斯会社は自動車工業と合併し東京自動車工業に
•1941年 東京自動車工業がヂーゼル自動車工業に社名変更
•1942年 ヂーゼル自動車工業から日野重工業が分社
•1945年 第二次世界大戦終戦
•1948年 本田技研工業設立(ホンダ)
•1949年 ヂーゼル自動車工業がいすゞ自動車へと社名変更
•1951年 発動機製造株式会社がダイハツ工業株式会社へ社名変更
•1952年 プリンス自動車が誕生(中島飛行機系)
•1953年 富士重工業(スバル)が誕生
(旧中島飛行機系5社が合併)
•1954年 鈴木自動車工業株式会社に社名変更
•1966年 日産とプリンスが合併
•1970年 三菱重工業から三菱自動車が独立
•1982年 トヨタ自動車工業株式会社に社名変更
•1984年 東洋工業株式会社がマツダ株式会社へ社名変更
•2003年 三菱ふそうトラック・バス株式会社が、
三菱自動車から独立

1925年にアメリカのフォード・モーターが、
1927年には、ゼネラルモーターズ が日本に工場を設け、日本向けの、トラックや自動車の多くを生産してました。

1935年に国防の観点から自動車製造事業法が、制定されると、フォードやゼネラルモーターズは、操業できなくなり撤退することになります。

自動車は、戦後になって、急激なペースで売上げを伸ばし、1926年(大正15年)には40,070台程度だった、日本の自動車保有台数は、1963年には、8,123,096台にもなりました。

1980年には、日本の自動車生産台数が世界ナンバー1となり、アメリカとの間に貿易摩擦を引き起こしました。

その為、貿易摩擦(ジャパンバッシング)が激化し、円高、相手国に関税、輸入制限が設けられるようになり、現地生産が開始されました。

絶頂期を迎えた日本車でしたが、バブル経済の崩壊により、長い低迷の時代を迎えることになります。

*自動車&あいのりマニア!より引用させて頂きました。