物部神社

◎ 物部神社 

村の鎮守様と言えば、日本全国どんな村でもどこの町でも必ずあるようだ。いずれも、こんもりとした木に覆われた鎮守の森があり、参道が続き、鳥居があり、狛犬が構え、その奥に静かなたたずまいの社殿が建っている。このいでたちは決まっているようで、遠くから見てもそれとわかるのが、鎮守の森である。

ものの記録や先達の話によれば、神社というのはその地域を開いた神様を祭っているもので、いわば、開拓の祖であり、地域を治め民を導いた指導者でもあるそうな。

長い長い時代の変遷の中でも、神社を守り大切に伝えてきたのは、やはり日本人が起源や祖先を大切に思い、神社を心の拠り所としてきた証ではなかろうか。比叡山を焼き払ったあの織田信長でさえも、桶狭間へ出陣の時は、熱田神宮にお参りしている。どうやら日本が神国と言われる所以も、この辺にあるように思える。

柏崎市西山町は神社仏閣が多くある町だ。小さな町にもかかわらず、延喜式内社が三社もある。延喜式内社と言えば、どう少なく見積もっても一千百年以上の昔から続く神社であることから、それだけ町の歴史も古いということになろう。その中でも代表的な存在が二田物部神社である。だからという訳でもないだろうが、故事来歴も宝物も沢山残され引き継がれている。

ある時、この物部神社に十数名の若者が集まって来た。今からかれこれもう30年前の冬のことである。

本殿の一角に陣取ってストーブを囲み、なにやら資料らしき物を広げ、話を始めた。そして、時折大きな歓声が上がりどよめきが聞こえてくる。そしてまた、熱心に話に聞き入り資料を見つめている。夜の更けるのも忘れて真剣なこの若者たちとは、商工会青年部の面々だ。そして、資料を手に熱っぽく話しているのが、物部神社の宮司さんである。

商工会青年部の人たちは、「物部神社のことについて勉強しよう」ということで、この夜勉強会を開いていたのである。そして、いろいろな事を学んだ。

① 室町時代に建てられた本殿は「流破風造」といって、県指定の文化財であること。

② 鎌倉時代の作品と言われる一対の狛犬は、魔除けとして大切に伝えられたもので、これまた、県指定の文化財であり、今では神社のシンボルになっていること。

③ 徳川三代将軍家光公の朱印状があり、それには五十石寄進ということが書かれていること。

④ 上杉景勝の大刀(おおたち)があること。

⑤ 江戸・天明の時代に、言論により過酷な税の取立てから領民を救った「天明義民」称えた、顕徳碑の話等々を勉強したのである。

そして、彼らは話の一つ一つに目を見開き、驚き、感激したのであった。「町を良くしたい」「町に活力を持たせたい」その為にはまず、町を勉強することから始めよう・・・・・・・・・。そういうことで青年部の皆さんの思いが、そして情熱が、勉強会という形で動き始めたのだ。

国を拓き地域を治めたこの物部神社から、今また商工会青年部の人々によって、「町おこし」の第一歩が歩み出されようとしていることに、何か不思議な因縁を感ずるのであった。

以下、次号に続く。

 

随想

生き仏の墓掃除

◎生き仏の墓掃除

最近の世の中を見ていますと、科学文明・物質文明は行き着くところまで行っている感があります。その一方で、宗教的・精神的世界をどれだけ深めていくかが、これからの課題と思われます。「21世紀は心の時代だ」と言われるゆえんではないかと思われます。先日、墓に行って墓石を洗い流し、その後家紋のところの金粉が剥がれ落ちた部分を、自ら筆を使って入れ直しをしました。そうとは知らない家族は、私の帰りがあまりに遅いので、墓場で倒れているのではないかと、余計な心配をかけてしまいました。

財団法人修養団常務理事の中山靖雄さんといわれる方が記念講話「心の豊かさ」の中で、あるご婦人の方からの手紙を紹介されながら、以下のような話をされました。

母を大事にしたいと思ったけれど母はこの世にはもう居りません。お姑さんと思いましたけれど、こちらももう居られません。そんな折、私は娘を連れて墓掃除に参りました。2人できれいにお墓を洗って、お花をささげて饅頭を供えて家に帰りました。すると娘が「お母さん、今日は母の日だから一番風呂に入って。」と言って後ろから背中を押します。「お父さんがいらっしゃるから、お父さんが先に入ってよ。」と言ったら、「いや、今日は母の日だから母さん先に入ってよ。」これまた後ろから押すようにするから、無理やり入れてもらいました。そしたら娘が、後ろから背中を流しながらこう言いました。「お母さん。生き仏の墓掃除よ。死んでからは、こんな温かい墓石流せないからね。」と言いながらお湯をかけてくれました・・・・・。

私はあまりの嬉しさに・・・・・、   涙をみせるのが恥ずかしかったので・・・・・。 お湯で顔を洗って涙をかくすのが精一杯でしたけれども、娘が生まれて18年、こんな嬉しい母の日はありませんでした。

この話を聞いて、どんな文明の何時の世になろうとも、「心の時代」は変わってもらいたくない。私にも娘がいますが、せめて母の日・誕生日くらいにはこんな言葉をかけて、妻の背中を流して欲しいものだと心ひそかに願っています。

<提供:石原政博さん(西山町在住)より>

 

随想

悩みから抜け出す方法

◎ 悩みから脱出する方法・・・「無我の境地で歩く」

1 凡人にできる解決法

人間というのは生きている限り悩みから逃れることはないものらしい。仏教では四苦として「生・老・病・死」を挙げているし、かぐや姫のお話でも悩みのない理想郷として「月の世界」を紹介しているが、結局そこは死の世界ということらしい。つまり、「悩みから抜け出た世界は死の世界しかない」ということのようである。この竹取物語は日本最古の物語ということからして、人間というのは太古の昔から「悩みから抜け出す方法を求めて」悩んできているともいえよう。

このように考えると、行き着くところ「悟りの境地」ということになるのかも知れないが、釈迦ならぬ凡人には到底届かぬ世界ということになる。それならなす術もなく諦めて、毎日悩みと共に生活するしかないのか、と言われれば人生そんなものでもない。

釈迦やキリストまでには及ばなくてもその域に近づいた偉人・賢人、はたまた比較的身近な先人も決して少なくないと思う。その人々が説く数々の教えに学ぶ事も価値あることだが、それは次に譲るとして、ここでは俗人がそのレベルで解決できる方法を考えてみたいのである。

2 行動を変えてみる。

一つ一つ取り上げていけば、この教えや方法といえども数限りなくあるような気もするが、その一番目として「行動を変える」ということがある。

つまり、気持ちが落ち込んでいる時に「無理して体を動かしてみる」という方法である。もちろん気持ちが落ち込んでいるのであるから、体を動かそうという精神状態ではない。当然「無理して」体を動かさねばならないことになる。この場合全裸になって公園で騒ぐと、深夜であっても逮捕されるからやめた方がいい。

日頃やっているスポーツがあればそれもいいし、ウオーキングやジョギングでもいい。出来れば汗を流して無心に取り組めることがいい。先日、テレビを観ていたらある著名人が「歩禅」という話しをしていた。「無我の境地で歩くこと」のように聴いていたが、これが出来れば最高である。

3 汗を流せば気分も変わる。

とかく人間は精神状態によって行動が規制される傾向にあるが、その逆を実行することも出来る。つまり、行動することによって精神の状態を変えることである。

一生懸命体を動かし汗を流した後は、その前に較べて気分も変わるし精神状態も変わっているものである。そうすると心に落ち着きや安らぎが出てくるし、考え方にも余裕が出てくる。突然フット別の考え方が出てくることも少なくないのである。

4 堂々巡りから抜け出すには?

そうは言うものの、人間というものは悩みに取り付かれている時にはそれに支配されてしまい、人生八方塞のように思いがちである。しかしながら、往々にして人生そのようなことはない。生死の境をさ迷わねばならないようなことはめったにあるものではない。要は無理して行動するかしないかである。そう、「無理して」である。「頑張って」である。

私も人様からこれに類する相談を持ちかけられることが少なからずある。それらの相談の主旨は、「悩みたくないけど、悩みから抜け出せないから悩むのではありませんか?」「その方法が知りたいのです。」ということである。全くそのとおりだと思う。その方法の一つが行動することである。繰り返すが「無理して」行動に移ることである。「頑張って」行動に移る事である。そうすれば必ず心の状態に変化が表れるはずである。頭の中での堂々巡りを切り替えるのである。頭で解っているだけではダメである。是非とも試してみる事をお勧め致します。その効果は思いの他大きいと思いますよ。

以上です。

随想

「60点」でも生きられる 

◎ 「人生100点なんていらないよ」

(1) ある床屋さんの話

昔から床屋さんといえば情報の集まるところとして知られているが、私のいく床屋さんもご多分に漏れず、話題には事欠かない。その上店主の話術が面白いときているので、散髪をしている約1時間が退屈しなくていい。さすがプロだと日頃から感心している。先日も消費税から始まって景気・経済・原発再稼動、シリア問題、挙句の果ては麻生総理時代の定額給付金・プレミアム商品券・小中学校の運動会・北朝鮮・韓国・独居老人・老人ホーム等々話は多岐に渡り何処までも続く。

(2) あるおばあちゃんに頼まれた。

その中で「お年寄り」の話になった。近年お年寄りの頭を刈る機会が随分多くなったそうである。そんなことから数年前のことだが、あるおばあちゃんに「定額給付金の申請書作成」を頼まれることになったとのことである。店主曰く「頼まれるままに引き受けて作成し投函してやった。」ということで随分喜ばれたらしい。

それほど難しくない書類だけど、お年寄りにしてみれば大変で、頼みに来るまであれやこれや悩んだらしい。そんな訳で、投函を確認してたいそう安心されたとのことである。

(3) 間違えてもいいのにね。

そこで床屋さんの感想一言・・・。「間違えてもいいのにね。」「書類が足りなけりゃ後で言ってくるし、間違えば確認の電話が来る」「何も完璧を目指す必要ないのにね。」と言うのである。聞くところによりるとこのおばあちゃん、大変律儀な方で「役所に出す書類だから不備があってはいけない。」「完璧でなければいけない。」「後から訂正や催促が来るなんて、大罪にも値する。」くらいに考えているとか。だから、それで悩みストレスになると言うのである。

(4) 40点間違うから面白いんだよ。

店主は更に続ける。「間違えても誰も命までよこせとは言わないものね。」「人間は60点でも立派に生きてゆけるもの。」「人生100点なんていらないよ。だいいち、面白くないよ。」「40点間違うから面白いんだよ。」「40点が話題になるのさ。」「そこに味が出るのさ。」と自信たっぷりに自説を展開するのであった。

なるほど「60点人生・・・・。」・・・含蓄のある言葉であります。

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元気で長生きする秘訣 

1 規則正しい生活

(1) 勤勉を絵に描いたような人

私の知人に、大変教わる事の多い社長が居られる。仮に「A社長」と呼ばせていただこう。年齢は60代の真ん中、たたき上げの創業社長で勤勉を絵に描いたような人である。

朝は5時から始動し、朝食前に一仕事済ませる。そして8時前には出勤し通常の業務をこなし、午後3時には自室に入る。そこに来客が絶えない。元来歯に衣着せない物言いと、気さくな性格で多くの人に親しまれている人だ。拙筆も時々お邪魔するが、訪問者の絶えた例がない。必ず誰か来ている。ある時など3組も一緒にワイワイやっていたことがあった。話を聞いているといずれも公私の境がはっきりしていない会話で、初対面の人でも何時しか巻き込まれてしまうのである。

そしてこの社長氏、午後5時にはサッサと自宅に帰ってしまう。それから、風呂に入って夕食を食べて10時に就寝するまでは、自分だけのくつろぎの時間だそうな。

(2)生活のリズムを崩さない。

このサイクルを1年中殆ど変えることはないということだ。勿論、出張や飲み会もない訳ではないが、基本パターンは殆ど変えない。かのロケット博士と言われた糸川英夫先生がクラシックバレーをされていた頃、時間がくると路上でも電車の中でも処かまわず踊りだされたそうである。つまり体が覚えている生活のリズムを崩さないことが如何に大切かということである。拙筆のレベルでは、このことを科学的・医学的に論証はできないが、感覚的・経験的に十分頷けることではある。

(3)社長の予告

A社長が定年退職後遊びに来た同級生に向かって、

A社長・・・「お前、この後何するんだ?」

同級生・・・「今まで十二分に働かせてもらったから、今度はゆっくりさせてもらうつもりだ。」

A社長・・・「そうか、お前死ぬぞ!」・・・と、ズバリ言っている。

A社長によれば、「可哀想だけどこれは当たる。」「定年後何もしないでフラフラしている奴は、間違いなく早死にする。俺の同級生にかなりいる。」と言って憚らないのである。

2 健康生活3原則

A社長曰く、「人間は次のことを守っていれば健康で快適な人生を送れる。」

(1) 規則正しい生活をする。

(2) 前向きに生きる。

(3) 体を動かす。

この3つを実践しているのがA社長である。A社長と付き合っていると「なるほど」と思うことが少なくない。まず、

・ 年齢よりもはるかに若い。

・ 行動が機敏で頭の回転も速い。

・ 考え方が積極的で夢がある。

等々を感じるのである。

最近若くして病に倒れたり、生活を狂わせたりする人が多いような気がする。

1日は24時間、1年は365日、万人に平等に与えられた時間の中で、自分の人生を如何に「すばらしい人生にするか、出来るか?」、かなりの部分が自らの生き方に係っているようにも思われる。身近なところの生きたよき手本の存在に、改めて気付かされた。生来、怠惰な身ながら今からでも遅くない、真似をすることにしよう。

随想