「涙は未来(あした)のために」=生かされている意味さがし(92)

92 涙は未来(あした)のために=生かされている意味さがし(92)

駄々をこねているのか、親に叱られているのか分からないけど、子どもの泣き声が聞こえるとなぜか辛くなりませんか?

なぜでしょう……。以前少しだけ子どもに関わる仕事に就いたからでしょうか。それとも、数十年も前の「子どもの頃の自分」を思い出すのでしょうか。

世界のどこでも明るく快活で屈託のない子ども達。汗をかいて遊びに夢中になったり、遊び疲れて無心に眠っていたり、大人が気にかけないものをじーっと観察していたり、そして、思い通りにならないと大泣きして抵抗してみたり……。

泣くことも大切なことなんだけど、なぜか辛くなるのです。泣くことって、「笑っている」「楽しんでいる」「明るく元気に成長する!」という概念の反対側にあることのような気がするんです。

おかあさんやおとうさんの腕に抱かれて大きくなる子ども達。

一方で親のぬくもりを知らずに、産まれてすぐ乳児院などの施設に預けられる子ども達。ちいさな時から辛いことがあってはいけないけど、泣いても叫んでもどうにもならない現実もあったりします。

娘が小さい頃、風邪をひいてお医者さんで点滴の針を見て泣き叫びました。自分が代われるものなら代わってやりたい。この子の行く末の苦労は全部親の自分が背負いたい。

「神様、この子に降りかかる災難は全部私が受けます」……と。天敵の針をみて、目の前で泣き叫ぶ娘をみて、小さな出来事だけど、そんなことを考えるのも我が子を愛する親なのでしょうか。

今日も妻は朝から星座占いをみて、遠くに住んでいる子ども達の運勢に一喜一憂しています。「私の運勢が悪くても、あの子達の今日は最高だから幸せ!」って喜んでいます。父親が母親にかなわない瞬間です。

以前勤めていた職場に、「産んだらすぐ保育園(幼稚園)に預けたい」というお母さんが来ます。まだ産まれる前から「預けたい」というお母さんも来ます。少し戸惑ったり、残念な気持ちになります。

でも、保育園の先生たちは、「是非、預かりましょう!」って言います。「だって、あのお母さんが育てるより、日中だけでも私たちが保育しているほうがあの子は幸せだよ!」って言います。その言葉になぜか説得力を感じてしまうというのは不思議な感覚です。

子どものためとか、児童福祉って言ってるけど、そのほとんどが、「子どもを持つ親(大人)への支援」なんですね。子どもには嬉しくないことの方が多いような気がするんです。

朝早くから保育園に預けられても、友達のいない日曜日に園の先生をひとり占めして遊べても、子どもはちっとも楽しくないんです。「やっぱりおかあさん、おとうさんとずっと一緒にいたいな!」「早く迎えにきて!」「おうちに連れてって!」って叫んでいるのです。

「泣きたいけど、そう言いたいけど、おとうさんとおかあさんが一生懸命働いているから僕だって私だって我慢してるんだよ!」って言ってます。この「心の叫び」をおとうさんもおかあさんも聞くことが出来たなら!……。

子どもの泣き声の向こうに虐待があったり、育児放棄があったりもします。とても悲しいし、そんなことのために「泣く」という人間だけの特権を子ども達には使ってほしくないんです。

少しむずかしいことだけれど、子どもが「泣いていること」「泣いたこと」が意味のあることになるようにしたいなって思うんです。

子どもの未来を創るのは、今の私たち大人の役割、そして大切な仕事。豊かで、広く明るい世界に子ども達が踏み出せるように、目の前の一歩から「希望の大地」を準備してあげる必要があると思うのです。

保育園や幼稚園にいくと、必ず元気な子どもが駆け寄ってきて、「おじさん誰? 名前は?」「おじさんどっから来たの?」って聞かれます。そうするとみんなが同じことを聞きます。

少しすると、「僕はねぇ○○」って名前を教えてくれます。そうするとみんなが胸の名札を見せながら名前を言います。「オレ四才」って言う子もいます。

003 帰り際に、一番遠くでこの様子をみていた大人しそうな女の子がスーッ! と寄ってきて、「私は○○」って名前を言って、恥ずかしそうに走り去っていきます。日常の何げないことなのですが、この子ども達の未来を考えずにはいられないのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

「時を忘れ、時を見つめる」=生かされている意味さがし(91)

91 時を忘れ、時を見つめる=生かされている意味さがし(91)

高校入学時に親から時計を買ってもらいました。当時は大人になったと実感するアイテムが時計、万年筆、そして免許取得後のバイクや車でした。

そうそう、タバコという人もいたけど、友達を見ていても、「大人になったという実感で吸っている」訳ではなく、「大人になったふりをして吸っている」という感じだったかなぁ(笑)

車はもちろん簡単に買えるものではないので、時計屋さんに行ってはセイコーやシチズンなどの国産メーカーの時計を宝石のような感じで眺めていました。ガラスのカットの美しさに憧れもしましたし、その後はデジタル時計が流行り、またクォーツや電波時計などに移り変わっています。

今、私の書斎?!に飾られている愚息のコレクションである時計は二十個くらいありますが、収集癖を「遺伝」かどうかと疑ってしまします。私にも既に二つの時計をプレゼントしてくれているのです。

しかし、私は殆ど時計をしません。その理由は「両利き」だからというものです。左利きとして育った私は、小学二年生ころから右利きに矯正されました。大人になって英語、書道でペン、筆遣いでかならず苦労する! と考えた親の計らいでもありました。

それはそれで結果的には良かったのですが、いまだに英語の「E」とカタカナの「ヨ」は悩むし、瞬時に「右に曲がれ!」と言われても脳の指令の順番は、「筆を持つ方だ!」という指令から始まるので混乱をしてしまうのです。とりあえずひらがなの「さ」と「ち」は克服しましたが。(笑)

さて、時計をしない理由に戻ります。あいにく「字を書く手」と「筆を持つ手」を矯正されただけで、後は左利きのままです。ですから、いわゆる「両手を使う機会」が普通の人達より多くなります。

皆さんは利き手と逆の腕に時計をつけますね。私の場合は、字を書く右手に装着しても、スポーツや力仕事をする左手に装着しても、とにかく邪魔になるのです。腕というより踝(くるぶし)に干渉する時計は「余計なもの」でしかないのです。

では、その代替え機能は? というと平成に入ってからの携帯の普及で時計の機能をカバーできるようになりました。

とは言いつつ、せっかちな私にとっては、やはり時間や時計は気になるところです。結果、行き付いたところは、「時間に追われない生き方をしよう」というものです。

妻にも時折、「時間に余裕のない生き方」をしていてたしなめられています。「時を気にしないのは文化人・自由人の証だ」と自分に言い聞かせ、約束の時間以外は敢えてルーズな過ごし方をしたいと考えたりもします。でも、やっぱり無理……。

現代社会は社会全体がすべて秒針の細かさで動いています。山手線では時間を気にしなくても数分で次の電車は来るけど、田舎じゃ予定していた電車に乗り遅れると数時間待たなくては駄目で、一日の予定がすべて変わってしまう。「時は金なり」なんですよ。

003時間は忘れたいけど、時間を見つめながら人生を送らないと、「時を駆ける少女」ではなくて「時に欠ける爺(じじい)」になってしまいます。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

「本当に時間は止まってる?」=生かされている意味さがし(90)

90 本当に時間は止まってる?=生かされている意味さがし(90)

 時間を止めるという超能力はありませんが、今どきは電波時計というものがあったり、光センサー付という時計があって、夜中にトイレに起きて常夜灯の灯りの中で時計を確認すると時計が動いていないことがあります。「おおっ! 時計も夜は寝るのかなぁ~」と常識では考えられない疑問を感じたりします。

これを光センサーによる秒針停止機能と呼ぶらしいのです。時を刻み続けるというイメージを現代の技術力はいとも簡単に打ち破ってくれます。

人間の歴史を計るものさしは「秒分」の積み重ねで「時」があり、「年」があり、「世紀」があるわけですから、時間という概念無しには何も語ることができません。三次元から四次元の世界を人間が支配できたとき、世の中も変わるかも知れませんね。

一方、リニアモーターの新幹線も東京名古屋間が一時間もかからずに走れるというのですから、時間の概念が昭和後期から数十年で大きく変わってしまいました。

003 さらに車輪がなくても「走る」んです。大地との接地面や摩擦という理屈があってこそ「走る」という言葉があると思うので、今度の新幹線は、「○時○分発、名古屋行きは間もなく十五番線から<飛びます!>」が正しいと思いますが……。 いかが?

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

「時間よ止まれ 時間よ戻れ」=生かされている意味さがし(89)

89 時間よ止まれ 時間よ戻れ=生かされている意味さがし(89)

「サラ金」や「ヤミ金」に手を出して、後悔している人は沢山いると思います。

いろんな事情があってのことだと思いますが、汗水流して働いて、働いて、それでも生活が立ち行かなくなって、市中銀行からではなく、「その筋の貸金業者」と関わってしまう! という人はそんなにいなくて、多くの人はギャンブルの穴埋めや、「ちょっと事故ってしまって、車が乗れなくなって、ローンもあるから短期間借りよう!」というきっかけで関わることになった方が圧倒的ではないかと思うのです。

ところがなかなか、この世界からは脱出できない仕組みもあったりして、弁護士や警察のお世話になる人もいます。

冷静に考えれば、「馬鹿だったな! あんときパチンコなんかやらずに真面目に<松谷の>本でも買って読書でもしていれば良かった!」と反省もするのですが、時すでに遅し。今の自分が健全であればあるほど、過去を後悔するものです。

ドラえもんのタイムマシンや、『バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)』のような映画が現実になれば、その場面に戻って、「なかった事にしたい」という出来事なんか人生の中でいっぱいありますよね。

私も「妄想派」なので、そういう想像はします。

中学生の時、まったく相手にもされなかった大好きな女の子が、自分の気持ちを分かって、「付き合おう!」って言ってくれたらどうなっただろう……、

親の言うこと聞かずに就職しないで愛知の大学に行っていたらどうなっていただろう……、

意地張って仕事を辞めたけど、続けていたらどうなっていただろう……、

といろいろ思い巡らすけど、正直言って、ここに寝ている妻と結婚しなかったらどうなっていただろう、という回想が一番多いかなぁ~。(笑) ハハハ、冗談であります。

でもね、三人の大好きな子どもたちと、孫を見ていると、これが最善だった! って思って妄想を反省したりもします。

時間を止めて、時計を逆戻りさせて修正したいことはいっぱいあるけど、そういう嫌なこと、辛いこと、忘れたいことがたくさんあって今の自分がある、という納得もまた必要なのかも知れません。

003 神様に仕組まれながら自分の人生が設計されていて、そういう苦楽も事前にセッティングされているんだ! と思えば気が楽になりますし、ちゃんと最後には、それが死後だとしても、幸せが待っていると思えば後ろを振り返らなくなると思うのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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「子どもたちへ」=生かされている意味さがし(88)

88 子どもたちへ=生かされている意味さがし(88)

とーちゃん、また酔っぱらってます。酔うと歳(年寄り)だからいろいろ考えて、やっぱり死ぬこと考えてしまいます。

最近、とーちゃんは死ぬのは怖いというか、嫌だとは思わなくなってきてて、仕方がないと思うようになってきた。たぶん死ぬ時がくれば「もがく」だろうけど、最後の方はモルヒネで自分が分からなくなっているだろうから、そんなに心配していない。

でも、死んだらそのあとはたぶん地獄行きだと思うんだ。かーちゃんは天国で蓮の上で幸せなんだろうけど、とーちゃんは「血の池」と「針の山」を右往左往してもがいていると思う。死ぬ時よりも切ないし大変だよ。

だから死ぬのが怖いというより「死んだ後のその先」が怖いのかも知れない。いろいろ好き勝手なことやって、かーちゃんにも迷惑かけたしなぁ~。

もうひとつ、やっぱりおまえたちと別れるのがつらいなぁ~。次の世の中でも家族が一緒ならいいけど、そうもいかないだろう。かーちゃんより美人でナイスバディで優しい人は沢山いたかもしれないけど、お前たちを産める能力を持っていたのはかーちゃんだけだった。すごく自慢の子どもたちを産んでくれたかーちゃんに乾杯! まだ酔ってるわ。

時々かーちゃんとで、おまえたちが小さいころのビデオを見るんだ。可愛くて、切なくて涙が出てくる。同時にもっと沢山の愛情を注いだり、寄り添ってやれなかったことに後悔したりする。

おれの家族としておまえたちを割り振ってくれた神様に感謝だし、いつもやさしいおまえたちにも感謝。こんな幸せなとーちゃんの人生は二度とないと思うけど、二度とないからもう少し一緒にいたいなぁ~……。

003 神様が許してくれた門限はいつまでかな?!

あっちの世界へ帰らなければいけない時間が迫っているよ。ちょっと死にたくないかなぁ~。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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