一人暮らしは天国か、はたまた地獄か=生かされている意味さがし(71)

71 一人暮らしは天国か、はたまた地獄か=生かされている意味さがし(71)

老後で考えるのは、夫婦でどっちが先に居なくなるか(亡くなるか)ということです。

先日の記事で、「先に死んだ方が幸せか、一人残って生きていくほうが幸せか」というようなコメントがありました。かなり難しい選択ですね。

一般的には、亭主が先に死んだ方が、自分も妻も幸せ! ということなのですが……。

本日、妻は孫子と上京していて不在。久しぶりの一人の時間であります。仕事が終わって少なくともこの時間から明日の夕方、妻が戻って来るまでは自由な時間です。

とはいっても、翌日の仕事も考えれば、明日の朝会社に出勤するまでの十二時間にも満たないわずかなゴールデンタイムをどう料理してくれようか、と思うのです。退社時間が近くなるとソワソワしている自分が分かります。

さて、いざスタート。財布の中の小遣いは限られているから「羽目」の外し方にも限界はある。

下世話な話でデリバリーヘルスなんて未体験ゾーンもあるが、やり方も分からないし、対応の仕方も聞いたことがありません。何よりも、「この歳で、結局考えることは短絡的な三大欲の充足だけかぁ~」と自分に嫌気がさしてきて、即座にパスとなります。

普段いかないパチンコ屋にでも行ってみようか?! と考えてはみたものの、十何年も前でしょうか、玉で一杯になった箱を持って移動してたら店員に、「お客さん、そっちからこっちへの移動は駄目でしょう」と怒られて挫折。

どうやら機種によって移動が制限されているらしいのです。「くそォ! 職場で上司に怒られて、憂さ晴らしに来たパチンコ屋の店員にも怒られるのかよォ!」ということでこれも却下。

もともとこういうことしか考えられない脳のレベルは、永い間妻にいい意味で矯正されてきた証なのだから、諦めるしかありません。

本題に戻すと、こういう夫婦の機微の中で、娑婆(しゃば)と同じように、あの世でも一緒に暮らす」ということが判ればどっちが先でもいいのだけれど、どう考えても妻が蓮の上で優雅に暮らしているとき、自分は「血の海地獄」か「針の山」で喘いでいるかも知れません。

いやいや、生まれ変わって妻はまた人間になって裕福に暮らしているのに、自分はその家の犬でも猫でもなく、庭先の茂みの中のバッタになって鳥や蛇に食べられないか毎日怯えて生きているかも知れないのです。

と、これが最後の人間界だとすると、妻よりちょっとは長生きしたいと思ってしまいます。これが結論かなとも思いますが、現在も壮健な親父の一人暮らしを見ていると、食事・洗濯でも大変なのに、町内会の当番が回ってきたり、振込詐欺への「丁寧な対応」もあったりと、意外と大変な状況がみてとれます。

やっぱり気持ち良く先に送ってもらった方がいいかなぁ~。

ところで前述の顛末はというと、本屋の立ち読み後、一人で鰻丼(半身)か鰻重(一匹)にしようか考えた挙句、「清水の舞台」から飛び降りてしまって鰻重食べて帰宅。結局、三大欲の一つ食欲を満たして短い自由時間は終了したのです。

さらに話には続きがあって、朝早く目が覚めてゴミ出しを終えて、妻の代わりに神棚と仏壇の水・お供え物を替えて、線香の匂いに送られながら会社に向かったのであります。

003老後はどっちが先かなんて考えるより目の前の「日々是好日」、これが一番幸せかも……。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

人生設計はいつまで変更できるか=生かされている意味さがし(70)

70 人生設計はいつまで変更できるか=生かされている意味さがし(70)

「将来こうしたい」「あんなことに挑戦してみたい」という思いを実現したり、「一念発起できる年齢はどの辺が限界なのでしょう? 個人差はあるし、その人の意思の持ち方で随分変わるとは思うのですが……。

最近の自分を考えてみると……、今なにかしようと思っても駄目だし、百歳まで生きるというエネルギーは備わっていない。無駄なことはやめとこう! という思考回路が優先しているように思います。

「おおっ、夏だ! 海水浴だぁ!」などと浮き足立つけど、水着は当の昔に処分されているし、波打ち際の事故を聞くと、近くの温泉で年寄りらしくしていよう! と諦めてしまいます。というより気持ちが萎えてしまいます。

「久しぶりに海に潜ってサザエ採り」なんてもってのほか。「あんた、歳を考えなさい」「サザエなんかスーパーで三個三百円で買ってきたほうが余ほど安全で美味しいわ」と<家庭の上司>に一喝されてしまいます。

スキーで三十度の斜面を華麗?!に滑っていた昔を想像するも、次の瞬間に骨折して、「年甲斐もない!」と、穴をあけた職場で失笑を買っている映像も浮かんでしまって、意気消沈となります。「華麗」どころか「加齢」でスキーもお蔵入りです。

自宅も五十歳台半ばで二度目の建設。やっと思い通りの「終(つい)の棲家」を作ったものの、子どもたちは帰ってこないし、跡を継ぐ気配もありません。

バブル期の気持ちが少し残っていて、「よし、庭に露天風呂でも造るか」と本気で考えても、「一体、この庭もそうだけど誰が将来管理していくのか」と考えて挫折するのも早いのです。

003 一日の雨でググッと成長して苔の間から出てくる雑草の草むしりで腰を痛めてしまう自分に、将来の夢を語る資格はないのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

己を知る=生かされている意味さがし(69)

69 己を知る=生かされている意味さがし(69)

大相撲の木村庄之助さんの軍配に「知進知退」という四文字があります。これは、よく見かける横綱の手形の色紙(表装額)にも書かれています。

人生で岐路に立たされたり、選択を迫られたりしたときに使われる言葉はいろいろありますが、一番分かりやすい言葉がこの「知進知退」だと思っています。

自身が尊厳を持ち、人の道徳を知り、また認められる人格があるとき、進むべき判断と、退く(降りる・身を引く)べきタイミングは知っている、時期を失しないという「分別」を備えている!という意味もあるかも知れません。

とはいいつつ、この「知進知退」を中々実行できない諸氏が多いように感じます。

特に政治家、オーナー企業の社長や会長、地位と名誉だけが人生の勲章と理解している御仁は、「進むこと」は知っていても「退くこと」は知らないのです。こういう人の人生の行先は「厚顔無恥」で、豊かな人生を送ったなぁ~、と実感できないものとなります。

私はこう考えます。自分の存在が自分の意志より肥大化してきたとき、ひとまず考えるタイミングだろうと。本当にこの立場でいいのか、自分でいいのか、周囲から求められているのか立ち止まって「知進知退」をよく確認すべきだろう! と思っています。

私は「潔い(いさぎよ)」という言葉も大好きです。スパっ! と周囲が驚くように退く。私の場合は大抵「無責任の撤退」と言われますが……。(笑)

石破さん、今の「安倍内閣を支える」発言は潔く、天下を取るタイミングが今でないことを知っていました。知進知退を地でいっているが、果たしてその裏にあるものは……、と様々な憶測をしてしまいます。

003「押しも押されぬ存在」となって頂点に立つ日がくるのでしょうか……。「知進知退」この言葉を、歳を重ねる毎に噛みしめて生きなければならないと思う今日この頃です。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

個性は忘れない=生かされている意味さがし(68)

68 個性は忘れない=生かされている意味さがし(68)

以前は鈴木さんという性が一番多いと言われていましたが、最近は佐藤さんの性が上回っているということらしいのです。いずれにしても上位二つはダントツのシェアなのです。

この「スズキさん」、人間の世界で存在感を示していますが、もう一つの世界でもスズキさんが活躍していることを御存知でしょうか?

実は寿司の世界、いや魚の世界でもスズキさんは活躍しているのです。

寿司ネタのトロも含めた鮪(マグロ)、鯛(タイ)、鰤(ブリ)、鯵(アジ)、喉(ノド)黒(クロ)、魳(カマス)、鯥、太刀魚、鰰……、みんな苗字はスズキさん!

正確にはスズキ目○○科に属する「それぞれの名前」なのであります。○○科という部分では鮪(マグロ)、鰹(カツオ)、鰆(サワラ)などサバ科も多いようです。

もちろん鯖も本家本元だから、これらの魚は親戚の中でも兄妹、従兄妹くらいの血縁になります。

このスズキさん一族もそうですが、寿司ネタを学術的(?!)に分析しながら食べると、違った味覚を味わえるかもしれないと思うのです。

アナゴだって「ウナギ目」だし、カワハギだって「フグ目」。ホタテは「カキ目」だけど、当のカキは「ウグイスガイ目」。う~ん、奥が深いなぁ!

世の中、押しなべて中庸、平均的、大勢などの言葉で「全体」意識しながら生きる! ということが多いようです。

それももちろん悪くはないのですが、たまには個性を主張して生きてみるというのも楽しいし、違った自分を発見できるのかも知れません。寿司ネタの本を読みながら、全国の「鈴木さん」の行く末を心配している自分がおかしくもありました。

寿司関連で築地の話。築地の移転はご承知のとおりですね。

我が家は家族全員が寿司好き。長男は入院中に一時外出の許可を得て、築地に行き、私の前で大トロ、中トロ、中トロ炙りを食べた後に「トロ三昧セット」をたらふく食べて病院に戻りました。病院食とは月とスッポンの差なんでしょうねぇ~。

築地のお寿司屋さんも、それぞれ個性を出して商売をしています。仕入れはそんなに違わないのに、それぞれの寿司ネタも「スズキさん」という均一の素材ではなくなって、職人さんの手の中で「シャリ」と養子縁組をして私達の口の中に入るわけです。

003「個性キラリ!」寿司は日本人の誇りです。

築地が移転したら美味しい寿司を喰いに行くぞォ~!

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

「社会人にはなったけど」=生かされている意味さがし(67)

67 社会人にはなったけど=生かされている意味さがし(67)

「社会人」にはなったけど、「大人」にはなっていないかな?!

近年の若者に対する率直な感想です。前述の想像が出来ない人達と同じで「教育」という議論に含まれるのかも知れません。

ビジュアル的にはタバコも吸えるし、酒も飲めるし、お化粧をしてドライブにも出かけ、好きな映画やコンサートに行って、女子会で立派に評論したりしています。

でも、一人になってアパートに帰ってくると、片付けが出来ていない部屋があり、キッチンは料理をした形跡がないにも拘わらず、シンクの中は洗っていない食器だらけ。トイレの便座の裏は汚れがこびりついている。いやいや、「今日はシャワー浴びずに寝よう!! あっ昨日もお風呂に入らなかったっけ……」

寂しいから、頻繁にメールやラインをするけど、そのスマホやアパートの家賃も学生時代の延長で親から仕送りしてもらっています。

自分の生活を自分自身で完結できていないのです。その意欲も元々持ち合わせていません。だから、社会に対する責任も自分自身に対する誇りや尊厳もありません。

我慢はしたことがないから初めて就職・就業という壁にぶち当たって、簡単に砕けてしまいます。就職三年以内の離職率が物語っていますね。

「生きていくことの大切さ」なんか学んだことがないから、人生の深淵を覗くこともなく、上辺の見てくれの良い生き方を選択してしまいます。質素な、いや清楚な生き方なんて出来ません。

でも欲望は抑えられませんし、みんなと同じことがしたいと思っています。同じ格好をしていたいと考えます。ふわふわして楽しい生き方が大好きです。

そういう世界に包まれていたいと思っているのです。「今が良ければいいのさ」……という感じで。

たぶん、こういう価値観を持っていて、それが許される環境に社会は「日本」だけのような気がしています。

003「大人のいない将来の日本」が不安でなりません。

そして、この文章を打っているときに「十八歳の選挙権」の報道がありました。もっと不安になりました。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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