「父を叱ってしまった!」=生かされている意味さがし(80)

80 父を叱ってしまった!=生かされている意味さがし(80)

お化けのような親父の話の続きです。

今日、来年春(二七年五月)に米寿を迎える実父に手紙を書きました。父親の家は近所で、私も頻繁に会いに行っていますが、相変わらずの一人暮らしをしています。

仏壇も、父親の専用のキッチン・トイレ付の部屋も用意している我が家には住まず、好んで一人暮らしをしています。買い物、食事、洗濯も自分一人でこなしているし、買い物も未だ自家用車を乗り回して市内のスーパーをハシゴしています。

父親の手術については、前ページのとおりですが、昨年発覚した大動脈瘤の手術と、心臓の弁の入れ替えという大手術もなんなくこなし、今も普通の生活をしています。

今回は、昨年まで鉄工所にも勤務していた父親に、思わず手紙を書いて苦言を述べたのです。

戦前、戦後と成人する前から大きな製造業の会社に勤め、六十才の定年まで働き、その後は伯父の会社の工場長として働き、さらに伯父の会社の下請けの会社に昨年まで勤めていたのです。

生粋の職人気質で今もそれが抜けません。私の性格とは正反対です。

手紙を書くこととなった理由は、定年で自由奔放となり、さらに手術で元気になり、年金・蓄財も潤沢なことから、色々問題も起こすのです。それを戒める手紙でもありました。

スーパーの店員さんを捉まえては品物を手に取り、「これは本当に美味いのか?」と聞きます。レストラン(洋食屋)に来て、「この店は漬物も置いてないのか?」と見下した言い方をします。店主の前で、「こんな在郷(いなか)の店にしては、まぁまぁのものを出すなぁ」と評価します。

孫が気を遣って家を訪ねると、「食費がないのか?」と半分本気で半分冗談を平気で言います。休日にドライブに誘わないと文句を言いますが、ドライブに誘って家を訪ねる時間が一分でも遅れると、「俺はもう家で寝てテレビを観てる」とドタキャンします。

なんとも我儘を絵に描いたような父親なのです。年齢も加味して百歩譲って我慢もしますが、昨日は流石に堪忍袋の緒が切れて手紙を書いてしまったのです。

もう少し辛辣な問題もありましたが、ここは父親の名誉のためにも伏すこととしますが、呆れ返らんばかりの日々です。痴呆ではないところがまた厄介な部分でもあります。

しかし、実の子ども(私)から、日頃の生活や生き方をたしなめられるような手紙をもらった父親はどう思うのでしょうか。素直になるか、意固地になるか、はたまた絶縁されるか……。

人生の先輩に対して後輩が物申すというのは、少し出過ぎた感もありますが、人生を振り返っても、生き方を「顧みる」ということがなくなった親には、いい薬かも知れないと思ったりもしています。

私は、遠方にいる子ども達や、近所に嫁いだ娘にも手紙を書くことがあります。父親として面と向かって言えないことは手紙で書くことにしています。

メールでも伝えることはありますが、父親として尊厳を持って伝えるべきは、「書面で!」との信念があり、子ども達に送りつけるのです。

今回のことで、ふと思ったのですが、自分の事を棚に上げて生き方を諭している自分が、いずれ子ども達から、「親父へ!」という自分宛の苦言の手紙を貰うことになった時の気持ちを考えたのです。

003今は、まさか? と思っていても、そのうち社会性が欠如した自分に、子ども達の叱責があるのかと思うと、少々、父親にも悪かったかな、と反省もしているのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

「平成の怪人」=生かされている意味さがし(79)

79 平成の怪人=生かされている意味さがし(79)

私の父が大病を患い、手術後の病室で本(私の拙作)を読んでいる姿を想像している! と前作の「あとがき」に書きました。

その後、八十七歳(当時)の父は、「肉体的エリート」と医師に評され、心臓と心臓の脇の大動脈瘤の手術も難なく切り抜け、手術で目が覚めた翌日には食事をし、次の日には立ち上がり、二週間も待たずに退院するという離れ業をやって退けました。

少し耳が遠くなりつつも声は大きく元気で、さらには昔からの職人気質で「べらんめぇ」調ですから周りの親族は何を言っても、やっていても心配です。

少し目を離すと、看護師(女性)の胸に手を伸ばして、「やばい!」と思うと、「あんたの名前は何ていうの?」と名札を鷲摑みにします。あのまま胸でも触ったら「セクハラ爺」で病棟の笑われ者になってしまいそうな病後の回復力でした。

退院してからは、「死ぬかもしれないと思っていた」という心配・呪縛から解放され、手術前以上に蘇生して、車でスーパーマーケット巡り、ドライブなどを始めました。

流石に、午前中(半日)勤務していた会社は辞めさせましたが、「つまらん、つまらん」といって息子に内緒で外出を繰り返しています。

優しくすれば、「俺は財産が無い」と牽制し、放っておくと、「一人で介護施設に入るかな」と脅し、たまに旅行を計画すると当日の朝に、「俺は行かんでいい」とドタキャンをします。

今は、「死んだかあちゃんの分まで生かさせてもらう」と百歳の天寿を自分で決めています。

レストランに行くと知らないものは食べません。ですからメニューが知らないものばかりだと、「俺は要らん」と意固地になり、「何でもいいから食べよう!」と水を向けると、「漬物をくれ」と無いものを注文します。

彼の耳は、自分に都合の悪い話は聞こえません。都合のいい話はささやいていても聞こえるようです。

振込め詐欺に遭うな! というと少し恥ずかしそうに笑います。一~ニ回は経験があるような気配です。「詐欺まがいの訪問や、家のリフォームの営業がきても対応するな!」と言っても、「おれは騙されないから話だけ聞いてやった!」と家の客間に頻繁に上げてしまいます。話し相手を探しているのです。

003 こんな父親にストレスなどあるはずがありません。長生きを否定する材料が見つかりません。

昭和の初めから平成を「自由奔放」に生きている怪人が我が家の爺さんです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

「母親の生き様」=生かされている意味さがし(78)

78 母親の生き様=生かされている意味さがし(78)

貧しいながらも厳しい家庭の五番目の子ども(三女)として母親は産まれました。

私にとっては祖父となる母の父親は若くして他界しましたが、祖母である母の母親は私が社会人になっても生きていたので記憶は鮮明にあります。荒物屋を営んでいて、郊外から街中に出てくる人達の買い物や通院途中の休憩所にもなっていました。

長男(兄)は将校か高位の軍人でしたが、戦後は公務員として働き、とても厳格な雰囲気があり存在感を放っていました。父親代わりであり、怖さもあって兄妹はみな「兄さん」と言いながらも絶対的信頼と服従をしていました。

母は利発で旧制高等女学校でも優秀だったようで、生活のため会社員にはなりましたが、自分より成績の悪い友達が教員になった! と言って悔やんでいました。負けず嫌いは人一倍だったようです。

夫(私の父)と結婚してから、パートなどをしながら生計を助けていました。一方で趣味も多く、大正琴から始まり、書道、華道、三味線、舞踊と一通りの習い事もしていました。

私達子どもの教育にも熱心で、私が物心(ものごころ)がついたときには既にピアノを習っていましたし、そろばん塾や進学塾にも通わされていました。嫌で仕方がありませんでした。

他人には気さくで優しく、面倒見もよく、コミュニティセンターの指導員として活躍したり、ワンバウンドバレーなどにも顔を出していたようです。

六十四歳で他界したとき、葬儀場が三百人ほどで溢れ、葬儀店の社長が、「大会社の社長の葬儀並みだ!」と驚いていました。

逆に、家では外の顔からは想像できないほどピリピリしていて家族はまとまりがなく、母親の機嫌に一喜一憂する毎日でした。(放蕩息子で受験にも失敗していた自分にも原因がありますが)

母親が私を認めるようになったのは、私の子ども(母にすれば孫)が出来たこと、風のたよりで「範行(息子)が仕事を一生懸命やっているらしい」と聞くようになってからだったと思います。

ここで、母親の姿を伝えることが意味あることかと考えてみたのですが、読者にも投げ掛けたいことがあったので書き始めました。

その母親が、息子である私を認めはじめ、意思の疎通が上手くいかなかった嫁(妻)との会話も自然となり、まぁ穏やかな老後が期待できそうだというとき、肺がんの末期であることが分かりました。

四十歳台に市内でも数人しかいない「膠原病(エリテマトーデス)」に罹患しており、がんには過敏になっていたようですが、内臓からの発癌となりました。

ただ、今になれば覚悟をしていた様子で、悲壮感はあったようですが、もがき苦しむような場面はありませんでした。

さて、本題となりますが、一時帰宅も出来なくなり、病院で家族が順番で付き添いの寝泊りを始めたとき二つの出来事がありました。

一つは、家財、財産の管理について夫である私の父ではなく、私に相談したこと。私自身が法律に多少の知見があったからでしょうか。私は親の財産など眼中にありませんでしたので、適当に聞き流していました。

そして、もう一つ。病室の大きなカレンダーの裏側に葬式の後の「お斎」の席順・配列を書き留めていたのです。死との背中合わせでそこまで冷静に、そして手落ちの無いような諸々の算段をして逝くことができる、というのは不思議な感覚です。

母親が偉大なのか気丈なのかは別として、自分に置き換えてどうなのだろう? と思ってしまいました。

その母親の介護に疲れ、尿管の挿入を拒み続けていた母親を説得し、体内にカテーテル(管)を入れた数日後に他界してしまいました。自分の思いやりのなさに後悔してもしきれなかったことを覚えています。

死に直面した母親を前にして、生きるということが、どんなに切なくて、やり切れなくて、でも人間が乗り越えなければならない肉親との別れは一生のうちに数回はあるはずです。

この、瞬間を分かっていたとしたら、その時を迎えるまでにもっとしてあげられることが沢山あったでしょう。もっと自分が成長して喜ばせてあげられることも沢山できたでしょう。

本当の「後悔」という言葉はその瞬間にあるような気がしたのです。

今、最上級の仏間を造って母親の供養をしていますが、当時小学生だった愚息(孫)の文武両道の活躍をみたらどんなに喜び、茶飲み友達に自慢しただろうかと、人の終わりの寂しさを感じずにはいられないのであります。

003こんな経験から、親のためにも、「しっかり生きる」ということを皆さんに伝えたいと思ったのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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随想

「人を愛するという責任と努力」=生かされている意味さがし(77)

77 人を愛するという責任と努力=生かされている意味さがし(77)

さて、スケベェ爺のみなさんがこの本で注目・感動するページです。

一夫多妻、生涯一穴主義、欲望の制御と放散についてです。

週刊ポス○、週刊現○を読んでいる皆さん、さらにはもう少し深く掘り下げて週刊○話、週刊○衆などをご愛読のみなさんは、青年時代の純真な気持ちも忘れて、袋とじや、巻末巻頭カラーの虜になっていると思います。

さて、結婚指輪挿入の際に、「この人と一生を添い遂げる」という心の誓約はすっかり忘れて、車窓の先に見えるハイヒールの女性や、電車の真正面の席に座る読書中の女性を見ながら、「比較幸福論」についてさりげなく考えているはずです。

今、綾瀬はるかが貴方の脇にきて、「芸能界に疲れた! どこかに連れて行って!」と懇願されたら、普段持ち合わせていない男気を出して、家庭も忘れて北海道の田舎町に旅立つ! という妄想は、誰にでもあると思うのです。

妻帯者は、一生を共にする伴侶をどこまで愛し続けられるのでしょうか?

毎日、同じ顔、同じ声、同じ仕草、同じ態度(これが一番辛いかも)に、どこまで初心を維持できるのでしょう? でも、これは相手の奥様も同様に感じていることで、もっと深く強烈な思いなのかもしれません。(怖~)

「あぁ、貯金もって発展途上国やイスラム社会の一夫多妻の国で暮らしてみたい!」という願望もあったりなかったり……。

素直な私は妻に言いました。

「毎日毎日ご飯(妻)ばかり食べている。決して嫌いじゃないけれど、たまにはパンやラーメン(他の女性)を食べてみたいときがある。それは『たまに!』の話だし、毎日だったら飽きる。結局ご飯(妻)に戻るんだよ! ラーメン食べてご飯の有難さを理解する。日本人(所帯持ち)だから…」

という訳の判らない比喩に、「バカでしょ! 毎日ラーメンとパンでもいいくせに……」って、失笑されました。

こういう、やりとりがありつつ、歳を重ねるにしたがって、「妻を守り抜く」という責任感と努力が芽生えてきます。

「『愛するのに努力する!』ってどういうこと?」と再度、妻になじられながらも、仏心、いや世間体もあり、妻を労わり、妻に気を遣い、そしてまんまと操縦されている亭主は幸せな一生を送るのです。

003ですから、責任とか、愛情とか全然考える必要はありませんよ。勘違いしているのは、そう!亭主の貴男だけだから……。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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「美味しく戴く」=生かされている意味さがし(76)

76 美味しく戴く=生かされている意味さがし(76)

食べ物は、神様や先祖に感謝して有難く戴くものなのだけれど、我が家でも「戴きます」という言葉はすっかり習慣化(常態化)していて、「感謝」という意味合いを思い出しもせず、目の前のおかずを口に入れる順番を考えていたり、見定めをしています。

実りに秋に、ちょっとだけ農家の人たちの苦労に感謝するのだけれど、漁師や畜産家、その食材を毎日淡々と加工している人たちへの思いが無いことに反省してしまいます。それどころか、その食材に感謝を忘れている自分に気が付くのです。

先日、外食をしていました。「行列の出来る寿司屋さん」で、お刺身やら握りを頼んで、お酒も飲んで「有難く戴く」なんて言葉が、酔った勢いでビールの炭酸のように消えてなくなっていました。

と、その時、小さなお皿に醤油を足しながら、「相変わらず塩分取り過ぎ」と反省しつつも、ドバッ!っとネタを醤油に浸けて食べている自分に変な感覚が湧いてきたのです。

「あれっ! 俺は本当は魚が好きなんじゃなくて、醤油とわさびを浸けた食材が好きなだけじゃないのか? そういえばトンカツも好きなんじゃなくて、ソースをかけた揚げたての衣が好きなだけじゃないか?」……、と。

調味料で食材を想像してしまう時もあります。調味料の味で素材の良し悪しを判断したりしている自分もいます。

人生と同じで、「俺は物事の本質が分からず、核心の部分を見過ごして生きているかも知れない。この醤油が俺をダメにしている」……。訳の分からない感覚を箸袋にとりあえずメモしたのがこの言葉でした。

飾られたり、デフォルメされた目の前のモノに心を奪われて本質・核心を見逃してしまう、食材を美味しく戴くことは、人生の心眼を磨くことでもあるのです。

直後に、テレビでタイの青年がニューハーフに変貌を遂げていく映像がありました。心眼を磨いていないと、時には付き合って結婚を決意した相手が自分と同じ「イチモツ」を持っていた! ということにも遭遇するかも知れない時代なのです。

食材を吟味する。それは結婚する前に一夜を共にして、翌朝のノーメークの相手を見て、今後も食べるか食べないか(結婚するかしないか)、を判断することと同じなのであります。(笑)

話題を戻して、テレビで「最近の子どもに味覚障害がある!」というニュースがありました。ジャンクフードや、濃い味に慣れてしまった世代の現代病かも知れません。

社会の責任でもあり、親の責任でもあります。日本の食の文化は、風土と歴史と、日本人の味覚、知恵、そして感謝に心で培われてきたものです。

003「生きる」と同時に「食べる」という根本的なものを、もう一度見直して欲しいと願っています。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

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