人の心を映す鏡

落語「松山鏡」より

イラスト(鏡) 落語の「松山鏡(まつやまかがみ)」は、まだ鏡が一部上流階級にしかなく、非常に珍しかったころの話です。伊予(現在の愛媛県)の松山に、正助という男がいました。評判の正直者で親孝行というのが殿様の耳に入り、ご褒美をいただくことになりました。しかし、正助は「何もいりませんが、死んだ父つぁまにひと目会わせてくだせえまし」と願いでました。そこで殿様は、当時珍しかった鏡を正助に見せてやりました。鏡など初めて見るわけですから、正助は鏡に映った自分の顔を父親だと思い込み、「ああ懐かしい。おらが笑うと父つぁまも笑い、おらが泣くと父つぁまも泣いてござる」と大感激です。その孝心に感じた殿様は、正助に鏡を与えました。

正助は大喜びで家に帰ると、物置にしている2階にその鏡を隠し、毎日そっと鏡を取り出しては話しかけていました。この正助の様子を怪しんだのは、女房でした。ある日、正助の留守に2階に上がって鏡を発見した女房は、そこに女の顔が映っているのを見て、驚くやら腹が立つやら。「よくも私に隠れて女を隠して……。それもよりによって、こんなまずい顔の女を」と、帰ってきた亭主の胸倉をつかんで大げんかになりました。「何を言う。あれは、おらの父つぁまでねぇか」ともみ合っているところに、村の尼が通りかかり、仲裁をしようと物置に入りました。「心配することはない。女は申訳がないと思ったのだろう。頭を丸めて尼になった」

同じことでも、人によって見方も違えば考え方も違います。自分と同じことを人も思うと決めてかかるとトラブルが生じます。笑いの中に、人間の真の姿を教えてくれる話です。<日本例話大全書より>

小話

小話(11)「ご当人にはわからない?」

昔から、挨拶と女性のスカートは短いほどよろしいようでーーー。

19世紀フランスの詩人でユゴーと並び称されたヴニーが、ある時アカデミーで長い演説を行った。ようやくそれが終ったところで友人が、「今日の演説、ちと長かったねえ……」とやんわり苦言を呈した。するとヴィニー、「ああそう??? でも、ぼくはちっとも疲れなかったよ。」

同じく19世紀イギリスの評論家カーライルが、あるパーティーで「沈黙の大切さ」について話した。これが延々と続き、とうとう他の人は一言もしゃべれずにパーティーは終了。で、友人の一人が言った、「なるほど、今日は『沈黙の大切さ』をよく体験できたよ。」ジャンジャン!!

フランスの詩人:ヴィニー他

小話

小話(10)「亭主の落し物」

健太と長介と三造の3人は年始回りの酒に大そうご機嫌だった。中でも三造は、正体もなく酔いつぶれてしまった。三造を健太と長介の2人でかついで帰ったが、背負う方も心もとない千鳥足だった。ようやく三造の家へたどり着いた。「かっちゃ、かっちゃ、三造君だらしなく酔ってまって、そら、長介君と2人で背負ってきたじゃ」と、健太が怒鳴ると、モヨが健太の背を覗いて、「アレアレ、健太さん。うちの人はどこだの?」「着物ばかりかついできて、どうしたのし?」健太、長介もびっくりして、「ほんとだ。確かに三造ば背負って出たが、帯が緩んで、抜け落ちたかな?」「何ですか、頼りがいのない人達だの。うちの亭主を落としてくる人がありますか」モヨはあきれ顔をした。「ちょっと待ってけへ、探してくるじゃ」

やがて2人は四つ角で丸裸で酔っている三造を抱えてきて、モヨに渡し、「おめさまは、幸せな人だじゃ」「なしてし?」「よく、よその人が拾って行かなくてさ」……。 ジャンジャン。

小話

雪国の生活をつづる「北越雪譜」

◎ 雪国の生活をつづる「北越雪譜」

鈴木牧之(1770~1842)

 鈴木牧之は越後の国(現在の新潟県)塩沢に生まれました。父親は質屋と縮織りの布の仲買をしていました。仕事のかたわら俳諧をたしなみ、号は周月庵牧水といいました。牧之の「牧」は牧水の「牧」で、牧之も家業に熱心なだけでなく文人でした。

牧之は「1尺(約30センチ)も雪が降ると、それを大雪だというのは、その土地がもともと暖かい国だからだ」と言います。また、「雪がたくさん降ると、その年は豊年だというのも、暖かい国の話だ」と述べ、同じ雪でも暖かい国に降る雪と、降り出したら何メートルも積もる雪国の雪とでは、同じように論じられないことを指摘しています。「1尺以下の雪しか降らないような土地なら、あたり一面の銀世界はあくまで美しく、風に舞う雪を花にたとえることもできよう。また、雪を眺めながら酒を飲んだり、音楽を楽しんだり、雪の風景を描いて楽しむこともできるだろう。しかし、越後のように、毎年雪に埋まってしまうようなところでは、雪を楽しみの対象になどはできない」と言うのです。

現在でも雪が降ると「スキーが楽しめる」とだけ反応するのは、都会に住んでいる人です。雪国で生活している人は、雪をかき分けなければ生活できませんし、雪に押しつぶされないようにしなくてはならないのです。

天保5年(1834)のことですが、六日町の近くでは初雪から12月15日までの間に、雪が町全体を覆いつくすほど積もったといいますから、それはそれは想像を超えた世界です。鈴木牧之の随筆「北越雪譜」は、雪ひとつを取り上げても、生活の基盤がどこにあるかによって、その受け取られ方が違うことを教えています。<日本例話大全集より>

以上です。

小話

小話(9)「盗みおさめ」

◎ 盗みおさめ

<江戸時代の笑い話>

 捕えた盗っ人が処刑される前に、「辞世の歌を詠みたい」というのです。そこで、「それは奇特なこと、詠むがよかろう」ということになって、その盗っ人が詠んだ歌は、

「かかるとき さこそ命の惜しからめ かねてなき身と思ひしらずば」

それを聞いた者たちが、それは太田道灌の歌ではないかと言うと、

「はい。これが盗みおさめです。」………ジャンジャン!!

以上です。

小話