今日のことば(39)「人はどんな高い所にでも登れる。しかし……???」 (アンデルセン)

◎ 人はどんな高い所にでも登れる。しかしそれには決意と自信が必要だ。

デンマークの作家 アンデルセン

アンデルセンは、一生の間に百数十篇もの作品を書き上げた。それは最高峰の未踏の山に登るに等しい偉業と言えよう。それを実現させたのは、この言葉にあるとおり、「決意と自信」であった。志を立てる者は、皆高所に到達しようと願う。しかし、志半ばにして諦め、投げてしまうのは、決意が薄弱で自信がぐらつきやすいからである。この世の中で生涯を賭けて自分の可能性を追い、素晴らしい仕事を成し遂げようとするには、決意と自信を固めてかかることが大切だと、アンデルセンは言うのだ。

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今日のことば(38)「人は石垣、人は城…… 、 欠点を長所に変える」ー武田信玄(甲斐の戦国武将)ー

◎ 「人は石垣、人は城」……、欠点を長所に変える。 句全体では「人は石垣、人は城、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」とある。(江戸時代に書かれた「甲陽軍艦」に出ている言葉)

戦国武将 武田信玄

 甲斐の国の戦国武将、武田信玄の名言として知られているが、信玄は人使いのうまさでも知られ、次のようなエピソードもある。

武田家の家中で、岩間大蔵左衛門という武士がいた。大変な臆病者で刃物屋の看板を見るだけで体が震えだすという有り様であった。豪気が身上の戦国時代のことゆえ、臆病者は軽蔑もされるし、存在価値も認められない。そこで重臣たちは、少しでも勇気をつけてやろうとして、合戦のとき、大蔵左衛門を最前線に立たせたりしたが、怯えて逃げ帰るか、恐怖のために引きつけを起こすので、つくづくあきれ果て、「あんな者は、武田家の恥辱でございます。即刻追放なされませ」進言する次第であった。

しかし信玄は、大蔵左衛門を見捨てなかった。「いや、少し待て。臆病というのは、ただ小心者というだけでなく、気持が細やかなことにもよるのだ。その特性を生かしてやれば、まだまだ使い道はあるはずだ」信玄は考えた末、大蔵左衛門を「訴人係」に命じた。訴人係というのは、家中の動向を探り、不正や悪事があれば上司に報告する、いわゆる「隠し目付」に似た役回りである。その後、家中は緊張することになった。大蔵左衛門のような小心者は、細かいところにもよく気がつく。それをいちいち書き立てられて、信玄に報告されたらたまったものではない。家臣たちは緊張して、常に心を引き締めるようになったそうである。

表題にも掲げているように信玄は「人は石垣、人は城」という名言を残しているが、人には必ずどこかに取りえがあるもので、その長所を発見して、適材適所に配したところに、信玄の偉大さがあったと言えよう。<日本例話大全書より>

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今日のことば(37)「一家は習慣の……。父母は……。」

◎ 一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。

慶応義塾創立者 福沢 諭吉

 慶応義塾の創立者・福沢諭吉が「教育論」の中で述べている言葉である。人間形成において、家庭の躾や教育が如何に重要なものであるかを説いている。そして、学校教育よりも家庭教育を重く見ているのである。

昨今では、モンスターペアレントという言葉があるように、小・中学校に厳しい躾を求め、教師の責任を問う親の声を耳にすることがある。しかし、これは本末転倒であって、家庭教育の放棄とも言えよう。親たるもの、まず、自らの足元をから見つめ直すことが肝要である。子どもの躾・マナー等、家庭教育や学校教育を考える上で、参考にしたい福沢翁の教えではある。

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今日のことば(36)「教師はロウソクのようなもの。………」

◎ 教師はロウソクのようなもの。みずから燃やしつくして、生徒を啓発する。

ルーフィニィ(イタリアの作家)

 19世紀イタリアの作家G・ルーフィニィが、教師の理想像をたとえて言ったものである。あたかもローソクを燃やしつくすように、自分の全人格、全知識を生徒にかけることができれば、それこそ教師の本懐といえるであろう。

 そのためには、単なる知識の切り売りではすまされない。アメリカの物理学者アインシュタインも言うように、「独創的な表現と知識の喜びを喚起させるのが、教師の最高の術である」となれば、なかなか困難な仕事であり、またそれだけにやりがいのあるものといえよう。

 教師の情熱はそのまま生徒に伝わる。ロウソクは燃え尽きても、その残像はいつまでも生徒の胸から消えずにいることであろう。かつて世話になった恩師をたたえ、感謝の念とともにこの言葉を贈りたい。

今日のことば(35)「花は桜木人は武士」

◎ 花は桜木 人は武士

我が国では、昔から桜の花の美を最上とし、日本の花のシンボルとしている。パッと満開になり、さっと散るのが国民性に合うためとされる。武士も名誉を重んじ、生命にこだわらない潔さを重んじるとして、共通点を見出しているものである。

以上です。