今日の言葉(15)「為せば成る、為さねば・・・」

◎為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を、成らぬと捨つる人のはかなさ (武田信玄)

一般的には米沢藩主として善政を布いた上杉鷹山の「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」として知られている。ところが、これの元歌は標記であり、武田信玄作だという。

武田信玄は一代にして戦国大名の雄になった武将であるが、民生に力を注いだことでも良く知られている。武田氏の領土である甲府盆地を流れる笛吹川と釜無川は、ほとんど毎年氾濫した。信玄は領民が辛苦して作った田畑や作物だけでなく、尊い人名までもあっという間に奪っていく洪水を、なんとしてもなくしたいと考えた。

彼は土木工事に優れた能力と経験を持つ者を登用して、様々な案を練らせた。ところが、最初から不可能であると、進言する者もいた。信玄はそれまでの常識やすでに行われている工法から離れた大胆な方法を試みるよう命じ、自ら現場で先頭に立って策を講じた。

まず、釜無川に2キロにわたって、幅11メートルの石積みの堤を築いた。水の強大な圧力に対抗するだけでなく、その力を減ずるように考えられた独特の石の組み方が考案されていた。「武田流」とか「関東流」と呼ばれて、非常に堅固であり、今日なお生きている堤である。

更に洪水を防ぐために、川そのものを改造するという大胆なことを行った。集中豪雨があると、御勅使川が釜無川に合流するところで鉄砲水となり、水があふれて洪水をひきおこした。信玄は御勅使川の水が釜無川に直角に流れ込むように川の向きを変え、釜無川に赤巌とよばれる巨石を組んで、御勅使川の水流をここにぶっつけた。釜無側と御勅使川の水の勢いを相殺するようにしたのである。

こうして、治水工事は毎年襲ってくる大水と闘いながら、20年余も続けられて完成した。自然の力を御するなどという、誰もが不可能と考えたことを、信玄は強固な信念をもって行動に移し、しかも20年余もかけて目的を達したのである。

「水を制する者は国を制する」とかいう言葉が、有ったやに思うが正に信玄はそれをやりぬいたのである。しかも20年余りの年月をかけて。ただ、闘いに強いだけが優れた武将ではなかったのである。

 

今日のことば(14)「山に近ければ・・・」

◎「山に近ければ山を食い、海に近ければ海を食う」

中国のことわざ。山里に暮らしていれば、山に出来るものを食するようになるし、海浜に住んでいれば、海で取れるものを食べるようになる。また、それが一番よい、という意味である。

世はあげて、「グルメ時代」などといい、美味や珍味がもてはやされる。しかし、本来「食」とは、この言葉のように、自分の周りで取れるものを口にするというのが、最も自然なあり方なのである。

同じように、人間は自分の置かれた環境に従い、その条件を活用して生きていくものである。

という教えである。

 

今日の言葉(12)「敵に教えられる」

◎ 敵に教えられる  (経営の神様:松下幸之助翁)

己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。己が正義で、相手は不正義なのである。いわば敵なのである。だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなる。人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、我々は、我が妨げとばかり思い込んでいるその相手からも、実はいろいろの益を得ているのである。相手がこうするから自分はこうしようこうやって来るならこう対抗しようと、あれこれ知恵をしぼって考える。そして次第に進歩する。自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、我が知恵をしぼっているのである。敵に教えられているのである。

倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。だからその対立は対立のままに認めて、互いに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。それが自然の理というものである。共存の理というものである。そしてそれが繁栄の理なのである。

(松下幸之助:道をひらくより)

 

今日のことば(11)「大病に薬・・・・・」

◎ 大病に薬なし

もともと薬は体の自癒作用(自分で治ろうとする力)を、助長するのが主な役目と言われている。その体が弱りに弱って、再生の見込みがないならば、どんないい薬でもあまり役に立たない。物事が極端に悪化してからでは、手の施しようがない、・・・・・ということ。