政界やぶにらみ(29)「柏崎を元気にする方法ー9」

1 少子高齢化時代に対応したまちづくり

本シリーズ「柏崎を元気にする方法」の9回目は、少子高齢化時代に対応したまちづくりについて考えてみたい。既にご案内のように、我が国の人口は減少の一途を辿り、毎年20万人程ずつ減り続け、今日では1億2,730万人(H25年10月1日現在)になっている。厚生労働省が発表した最新の人口動態統計結果によると、2013年(H25年)人口の「自然減」は、24万4,000人と、過去最高を記録したそうだ。また人口が自然減となるのは、7年連続のことであり、今後もこの傾向が続くということだ。これまでも確認されてきていることだが、人口動態推計は大きく狂わないのが通例のようだし、今後もそうであろう。また、ある大学の先生の話であるが「人間は本来120歳までは生きることが出来る。」ということらしいから、医学の発達や新薬の開発と相まって、平均寿命もどんどん高くなっていくことが予想される。その一方で、生まれる子供の数は少なくなっているから、益々少子高齢化社会が進行することになる。ということになると、まちづくりも益々「少子高齢社会」に対応することが必要になる。

2 コンパクトシティ構想によるまちづくりを

そこで、少子高齢社会に対応したまちづくりが必要だということになるが、ここで提案したいのは「コンパクトシティ構想による街づくり」だ。この構想は1970年代に提案され、一部政策として取り入れている自治体もあると聞いている。そもそもこの構想が出てきた基本コンセプトは「下駄履きで生活できるまち」である。自動車社会がもたらす弊害、都市機能の郊外拡散や無秩序な開発、道路・上下水道などの公共投資の非効率化等々の課題を解決するために考えられたもので、最近になって再び関心が持たれてきていると聞く。このように見てくると、構想自体の誕生からはかなりの年数が経過しているが、少しも陳腐化していないし、むしろ今日的課題にぴったり適合しているように思うのである。

3 柏崎にぴったりの政策

さて、この構想を「柏崎市に当てはめて考えてみた場合にどうなるか」、ということだ。既にご承知のように、柏崎市もご多聞にもれず人口は減少し、高齢化は進行している。近いところで比較しても、平成17年の合併時の人口94,648人が現在(H2510月1日現在)88,609人と6,000人余(△6.4%)も減少し、高齢化率は29.1%だ。全国平均より速いペースで人口減少・高齢化率が進行し、少子高齢化に拍車がかかっている。これに対する対策が必要かつ重要であることは、改めて申し上げるまでもない。そして、このコンパクトシティ構想が現在の「柏崎市にぴったりの政策」であると申し上げたい。くどいようだが、今すぐこの構想を取り入れて、今後の政策の柱に据えるべきだ、ということを強調しておきたい。今回はここまでとし、次回はもう少し踏み込んで考えてみたいと思う。

<次回に続く>

政治

東京都知事選(2)「選ぶ側の責任」・政界やぶにらみ臨時増刊号(2)

東京都知事選が告示され投票日が近づくに従って、加熱の度が増しているようだ。16人の候補者がそれぞれの戦いを展開し、自分への投票を呼びかけている。我が国の選挙制度はいろいろな問題も内包していると言われるが、それなりに民主的方法によっていると言えるのではなかろうか。そこで改めて候補者16人を見てみると、はたしてこの人が東京都の顔として相応しいか、あるいは、もし当選したら責任をもって都政の舵取りを任せられるか、等々の疑問を禁じ得ない人もいる。勿論、民主国家である我が国では、何人も有資格者であれば立候補できるし、その権利を妨害することはできない。ならば、選ぶ側がしっかりとした「選択眼」を持たなければなるまい。16人の候補者の中には、知名度の高い人もいるし、名前も顔も初めてという人もいる。おのずと、知名度の高い人に注目が集まる傾向にあるが、かといってそちら側に偏った報道や扱いがあってはならない。これは前回述べたことだ。

さてそこで、知名度が高く過去の言動が取り上げられる人の中でも、任期途中で職責を放り出し、責任を全うしなかった人がいる。その人が今回は「脱原発」を唱え「日本は原発に頼らなくても発展できる」と主張している。勿論、自分の思うところを有権者に訴えることを否定するものではない。ところがそれで、日本最大の電力消費地東京都のトップとなった後、都民の生活を保障できるのか。万々が一にひとつ、百歩も万歩も譲ったとして、その場合の代替案はどうなっているのか。都民・国民を説得できる案を示すべきである。ところが、これまでのところ、候補者本人も応援している元総理もそれを示し切れていない。また、もう一つ例を挙げれば、今回は噂されながら出馬しなかったが、嘗て九州のある県で知事選に出馬し、圧倒的高得票で当選したタレントのケースも思い出される。彼は故郷の為に一身を投じて働くと訴え人気を博した。そして任期期間中八面六臂の働きで、これは「本物かも?」と思わせたものの、1期で辞めて国政に転じ、その後間もなくその職責も放り出してしまった。他にも某有名私立大学の女性教授やテレビ司会者の例もあった。いずれも、知名度を武器に当選したものの、任期を全うすることなく放り出しているのである。それぞれの人が、理由も言い分もあるだろうが、有権者から見れば、「無責任」のそしりは免れまい。

そこでこの辺は有権者がよく見極める必要があろう。ただ断っておくが、タレント候補が総て駄目と言っているわけではない。米国における映画俳優出身のレーガン元大統領のような例もあるとおりだ。要は「人物をよく見極める」ことが大事だ、と言っているのだ。

ある政治評論の中に、東京都民の政治的民度の低さを指摘する論評があった。一頃のタレント候補や極端から極端へ振れる「振り子選挙」の結果を憂いての苦言と受け止められるが、確かにそのとおりだ。そこには当然選ぶ側の責任が問われることになる。

そこでこの度の都知選はどうであろうか。今回もその恐れなしとは言い切れまい。思いつきや単なる理想を叫ぶだけでは政治は動かすことが出来ない。なぜなら当選したその時から、現実に対処しなければならないからだ。誰を選ぶかは都民の審判だ。2月9日には答えが出る。

東京都知事選(1)「報道する側の責任」・政界やぶにらみ臨時増刊号(1)

東京都知事選が告示され2月9日の投票へ向けて舌戦が繰り広げられている。今回は16人の候補者が立ち、1999年の19人に次いで2番目に多いということだ。ところが、報道を見る限り知名度の高い4人の政策が中心で、その他12名の主張は殆ど伝わってこない。新聞の論調をみると、一自治体の知事を選ぶ選挙といえども、原発・五輪を争点のトップに掲げ、「国政に直結した政策論戦は意義深い」と述べている。それならば、他の記事に優先して全候補の政策一覧を報道してしかるべきではないか。ところがそれが見当たらない。

東京都では詳しい政策が知らされているのであろうが、地方でも関心は高い。ましてや、新潟県は東京に電気を送っている「生産県」だ。原子力発電所立地自治体である柏崎市・刈羽村に住む者にとっては、他にも増して大きな関心事である。勿論、高度に発達した情報化社会の今日、新聞だけでなく他のツールから入手する方法もあろうが、不思議と16名全員の政策一覧は見つけにくいのである。くどいようだが、ここは一つマスコミに期待したい。我々の日常生活に深く根ざしている上に、国民世論に大きな影響力を持つ新聞にその役割を求めたい。それだけ東京都知事選は大きな国民的関心事なのだ。

ところで、聞くところによれば2月に4候補による「ネット討論会」が計画されているという。なんでも、ネット事業者7社共催によるものらしいが、これとても4候補者に限定されていると聞く。16人全員参加が実現しないのは、それなりの理由があるのかもしれないが、基本は全候補者に平等・共通の機会を設けるべきだし、有権者にもそれを聞く機会を提供することにあるだろう。紙面の制限や運営上の都合を理由に、平等を欠くことはやはりどう考えてもおかしい。改めて言うまでもない事だが、これでは既に土俵に上がる前から選別されていることになる。これ等のことに、素朴な疑問を抱いている国民は少なくないだろうと思う。報道する側や討論会を企画する側もよく考えてもろいたい。

政界やぶにらみ(28)「柏崎を元気にする方法ー8」

前回は、柏崎を元気にする方法として「夢と希望」を取り上げた。つまり、市民が元気になるためには「夢と希望」を持つことが必要だ。市長はリーダーの責務としてそれを示さなければならない、と述べた。さらに、夢と希望の源泉として柏崎の将来像を示すビジョンが必要だし、そこに市民が参加し易い具体的で分かりやすい「スローガン」が必要だ、と述べた。その事例として「健康寿命延伸都市松本」(長野県松本市)と「スポーツで人とまちを一つにする」(東京都町田市)の2つを紹介した。

1 市民の参加と協力で柏崎を一つにすること

柏崎を元気にするためには、市民の参加と協力が必要である。市長や議会だけが躍起になって叫び旗を振っても駄目である。柏崎が一つになることだ。柏崎を一つにしなければならない。

市民の参加と協力を得るためには、具体的で解りやすい目標と計画が必要である。そして、それを市民に伝え浸透させる手段として「スローガン」が必要である。勿論、そのスローガンの根底に欠くことが出来ない精神として「理念」がなければならない。これは当然のことである。理念のないスローガンは、根のない草と同じだからだ。風の向きで何処へ飛んで行くかわからない。その意味で市が示す第四次総合計画でいう「好きです輝く柏崎」が「理念足りえない」ことは容易にご理解いただけるであろう。

2 事例に学ぶ

(1)「健康寿命延伸都市松本」に学ぶ

ここでお示しした事例2点について考えてみよう。まず、「健康寿命延伸都市松本」だが、これを見ただけで大凡の意味・内容・目指すべき松本の将来像が理解できよう。つまり、全市民が「健康で元気で長生きするまち松本」を標榜しているのだ。換言するなら、「皆で長生きして、ピンピンコロリン人生を全うしよう」ということだ。その為に行政はその目標に向かって、あらゆる政策を立案し実行・実現する。市民はそれに協力し参加する、ということだ。そこでは、目標も明確だし、実行も参加もし易い。ということになれば、当然市民からの意見が出てくるであろう、しかも具体的に。さすれば、その市民の声を反映させればいい。これが市民参加のまちづくりである。市民とともに行う行政運営である。

(2)「スポーツで人とまちを一つにする」に学ぶ

次に、「スポーツで人とまちを一つにする」だが、これも実に解りやすい。申し上げるまでもなく、スポーツというのは目標と結果が明確である。目指すは試合・大会・協議会だ。参加者はその目標に向かって鍛錬・努力をする。そして、結果が出る。しかも、その結果はほとんどの場合数値で確認することが出来る。スポーツもプロスポーツやオリンピック競技から、個人レベルの健康スポーツまで幅は広くまた奥も深いが、それをまちづくり政策の柱にして、市民参加のまちづくりにする。市民にとっても、これまた実に解りやすいし協力も参加もし易い。そして、鍛錬・努力した結果を踏まえて、次へつなげることが出来るし、目標も立て易い。まさにPlan―Do―See のマネジメントサイクルの成果も十二分に出せるということだ。そうすれば、前へ進むに従って最初に掲げた夢が近づいてくるし、益々膨らんでくることになろう。嘗て、柏崎市は「スポーツのまち柏崎」を標榜していたこともあるはずだ。今はどこへ行ってしまったのであろうか???

以上、2つの事例に学びながら、「柏崎を元気にする方法」について考えてみた。次回はもう一歩踏み込んで愚見を述べてみたい。

<次回に続く>

政治

政界やぶにらみ(27)「柏崎を元気にする方法ー7」

本コーナーでは「柏崎を元気にする方法」について考えてきて、前回までで6回になった。その方法としては、山積する柏崎の課題について、正面から取り組み一つひとつ解決することだと述べた。その為には予算配分の考え方を変えて、景気・経済対策を優先すべきだと述べた。そして財源対策として、国からお金を持ってくることだし、その為に一生懸命政策研究をすること、さらにはそれを可能にできるか否かは「市長のやる気と力量」に掛かっている。だからもっともっと真剣に必死になって働いてもらわなければならないとも述べた。そして前回(政界やぶにらみー26)は、具体的方法として「特区制度」に手を挙げることを提起した。そこで、今回は視点を変えて「夢と希望」について考えてみたい。

1 市民に夢と希望を

ここで読者各位にお聞きしたい。「あなたは柏崎に夢があると思いますか」そして「希望が持てますか」と。この問いかけに対して、「夢がある。希望が持てる。」と答える人にはあまりお目にかからない。少なくとも拙筆の周りでは全くと言ってよいほど聞くことが出来ない。改めて申し上げるまでもないことだが、「夢」と「元気」は密接に関係している。よく経営を語るときに出てくるセオリーがある。「夢があれば希望が持てる」→「希望があれば目標が持てる」→「目標があれば計画が持てる」→「計画があれば実行に移れる」→「実行すれば達成できる」というものだ。すなわち「夢が叶う」ということである。夢が叶えば達成感・満足感が湧き、「元気」が出てくる・・・、ということだ。よく「リーダーの職務は夢を示すことだ」と言われる。市長は市民に「柏崎の夢」を示さなければならない。それは「柏崎のビジョン」を示すことであり、「グランドデザイン」を描くことでもある。夢があれば市民の間でも元気が出てくると申し上げたい。

2 柏崎の将来像

このような話をしてくると、市長は「第四次総合計画がある」と言う。ところが如何であろうか。そう言われて第四次総合計画を見た市民各位は「柏崎の将来像」を思い描けるであろうか??? 目指すべき柏崎の姿を「具体的にイメージ」することが出来るであろうか??? おそらく、出来るという人はほとんど皆無ではなかろうか?

例えば、この第四次総合計画の冒頭に基本理念や将来像が示されている。だが、そこからはどうしても「具体的イメージ」を思い描くことはできない。なぜであろうか? それは「政策課題を並べた計画」の域を出ていないからだ。ご承知のように、この第四次総合計画を作るにあたって、市当局が指名した委員で構成する策定委員会で議論したものを纏め答申し、「柏崎市総合計画」として設定しているのである。市長はそれをもって「ビジョンだ」と言っているのだ。拙筆に言わせれば「そうではない」と言いたい。「ビジョン足りえない」と言いたい。ついでに付言するならば、基本理念と位置付けている「好きです輝く柏崎」も「基本理念足りえない」と申し上げたい。ただ、解決すべき政策課題に取り組むべき「計画」としては、よくできていると思う。よく練られている。関係各位の努力を評価したい。このことは、策定の当初から申し上げてきたことだ。それならば「何が必要なのか」ということになる。その点に関しての他の自治体の事例がある。

3 市民を参加させるスローガン

以下に2つご紹介しよう。

(1)長野県松本市では「健康寿命延伸都市松本」を標榜している。

(2)東京都町田市では「スポーツで人とまちを一つにする」を標榜している。

このスローガンを聞いただけで目指すところの「姿」がイメージできるのではなかろうか。市民が「まちの将来像」を思い描けるのではなかろうか。ビジョンとは「総花的総合計画」を言うのではなかろう。聞いた人が具体的将来像を「イメージ」することが出来て、それに向かって参加することが出来るものでなくてはならない。そこで初めて「柏崎はどんなまちですか?」という問いかけに、市民が胸を張って答えられる「まちの姿」が出来あがってくるのではなかろうか。そして、そこには「夢と希望」が必要であり、リーダーはそれを示さなければならないと申し上げるのである。以下、次回に譲りたい。

<次回に続く>

政治