第二次世界大戦における会社の存続危機とアウディブランドの復活

アウトウニオン社のもと、DKWと並んでアウディは中~高級を担うブランドとして存続していました。しかし、第二次世界大戦が起こるとアウディブランドは製造中止となり、大戦でドイツが敗北するとアウトウニオン社の工場はソ連に接収されて会社自体が壊滅の危機に瀕する状況に陥りました。そのため生産拠点を西ドイツのインゴルシュタットに移し、戦後数年をかけて何とか製造再開にこぎつけます。
アウトウニオンは再出発直後からクラシカルながらもデザイン性の高い車を開発していましたが、1958年からはダイムラー・ベンツ社の支配を受ける形で生産が行われるようになり、1964年からはフォルクスワーゲンの傘下に入りました。
フォルクスワーゲン社の傘下に入ってから間もなく、アウトウニオンはアウディブランド復活に成功します。この時に発売された75(F103)は前輪駆動の中級セダンでしたが、1969年にロータリーエンジンの設計に定評があったNSU社と合併してより幅広い性能を持った車の製造へと生産の幅を拡大させていきます。この時に社名が「アウディNSUアウトウニオン」に変更され、ようやくアウディという名前が再び日の目を浴びるようになるのです。