「時を忘れ、時を見つめる」=生かされている意味さがし(91)

91 時を忘れ、時を見つめる=生かされている意味さがし(91)

高校入学時に親から時計を買ってもらいました。当時は大人になったと実感するアイテムが時計、万年筆、そして免許取得後のバイクや車でした。

そうそう、タバコという人もいたけど、友達を見ていても、「大人になったという実感で吸っている」訳ではなく、「大人になったふりをして吸っている」という感じだったかなぁ(笑)

車はもちろん簡単に買えるものではないので、時計屋さんに行ってはセイコーやシチズンなどの国産メーカーの時計を宝石のような感じで眺めていました。ガラスのカットの美しさに憧れもしましたし、その後はデジタル時計が流行り、またクォーツや電波時計などに移り変わっています。

今、私の書斎?!に飾られている愚息のコレクションである時計は二十個くらいありますが、収集癖を「遺伝」かどうかと疑ってしまします。私にも既に二つの時計をプレゼントしてくれているのです。

しかし、私は殆ど時計をしません。その理由は「両利き」だからというものです。左利きとして育った私は、小学二年生ころから右利きに矯正されました。大人になって英語、書道でペン、筆遣いでかならず苦労する! と考えた親の計らいでもありました。

それはそれで結果的には良かったのですが、いまだに英語の「E」とカタカナの「ヨ」は悩むし、瞬時に「右に曲がれ!」と言われても脳の指令の順番は、「筆を持つ方だ!」という指令から始まるので混乱をしてしまうのです。とりあえずひらがなの「さ」と「ち」は克服しましたが。(笑)

さて、時計をしない理由に戻ります。あいにく「字を書く手」と「筆を持つ手」を矯正されただけで、後は左利きのままです。ですから、いわゆる「両手を使う機会」が普通の人達より多くなります。

皆さんは利き手と逆の腕に時計をつけますね。私の場合は、字を書く右手に装着しても、スポーツや力仕事をする左手に装着しても、とにかく邪魔になるのです。腕というより踝(くるぶし)に干渉する時計は「余計なもの」でしかないのです。

では、その代替え機能は? というと平成に入ってからの携帯の普及で時計の機能をカバーできるようになりました。

とは言いつつ、せっかちな私にとっては、やはり時間や時計は気になるところです。結果、行き付いたところは、「時間に追われない生き方をしよう」というものです。

妻にも時折、「時間に余裕のない生き方」をしていてたしなめられています。「時を気にしないのは文化人・自由人の証だ」と自分に言い聞かせ、約束の時間以外は敢えてルーズな過ごし方をしたいと考えたりもします。でも、やっぱり無理……。

現代社会は社会全体がすべて秒針の細かさで動いています。山手線では時間を気にしなくても数分で次の電車は来るけど、田舎じゃ予定していた電車に乗り遅れると数時間待たなくては駄目で、一日の予定がすべて変わってしまう。「時は金なり」なんですよ。

003時間は忘れたいけど、時間を見つめながら人生を送らないと、「時を駆ける少女」ではなくて「時に欠ける爺(じじい)」になってしまいます。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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