「想像力を養うべきです」=生かされている意味さがし(66)

66 想像力を養うべきです=生かされている意味さがし(66)

二十一世紀になり、昔に比べてモノも情報も溢れ、目に映るもの、行動する範囲も格段に広がってきています。

時が流れるスピードも速くなりました。学者さんがラジオで話していましたが、「平安時代は、会話のスピードが今の二倍も三倍も遅かったと推察される」ということで、人間の思考回路も瞬時に脳内を廻るようになっているのでしょうね。

そんな刺激の多い時代だから、一つのことから色々なことを考えて、膨らませて、或いはイメージを具現化していくという作業は、平安時代の人よりはるかに進んでいる筈です。

ところが、最近の若者からは想像力というものを感じないのです。

「自分がこうすれば人が困る」「人を殺めれば法で裁かれる」「相手を叩けばこういう痛さを感じる」「この場面で自分本位の行動をすれば周りや全体に大きく影響する」……、当たり前のことですが、こういう「基本的な想像力」というより「簡単な予測」すら出来ないように思うのです。

だから、ゲームのように簡単に人を殺害し、窃盗を繰り返し、ホームレスを襲い、自分本位の生活をし、不満があれば他人や世間を恨む。想像力がないから、そんな生活を送っていてもプラスのイメージを持つことが出来ずに、そこからの脱却も出来ない。ズルズルと転落していく人生を嘆いているだけになるのです。

いつも、突き詰めて考えると、今の時代の負の部分の多くは「教育」にあるのだと思ってしまいます。

成績主義ではなく、道徳的な教育や人間の本質、尊厳、生き方をしっかり習得して大人にならなかったために社会の秩序が乱れ、あちらこちらで綻び、無駄な税金を使って修復しなければならない時代にきているのだとも思ってしまいます。

OAのサイバー攻撃もウイルス対策も、この世になければ、どれだけの資金で世界の子供達が救えるだろう! と飛躍して考えてしまうこともあります。

もう一度、豊かな心と、人間力、想像力を育てるべきではないかとも思うのです。

003 和歌や短歌などで、豊かな想像力で人間の機微を詠いあげた平安の人達より、はるかに劣り、退化している現代人の想像力は、会話のスピードアップと相反しているのかも知れません。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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