「児童の犯罪を考察する」=生かされている意味さがし(53)

53 児童の犯罪を考察する=生かされている意味さがし(53)

「小学生が放課後校庭内でサッカーボールを使って遊んでいた。ボールが外に飛び出し、避けようとした老人が死に至った。子どもに賠償能力はないが、親の管理監督責任があるとして損害賠償を裁判所が命じた。」

……二七年四月、この問題が大きくマスコミにクローズアップされました。

街頭のインタビューで、「自分の子どもが起こした事故だから親が支払うのは当然でしょ!」とのコメントがありました。

そうかも知れません。ただし、数千万円の損害賠償は家庭の崩壊を意味します。司法の判断をとやかく言うつもりはありません。自分の子どもがそのような事故を起こしたらどうなるかを多くの国民は想像したでしょう。

当たり前に、それもかなりの確率で自分の子どもに起こり得る事故です。もちろん故意でやったわけでもないし、道路上で遊んでいたわけでもありません。

この報道を聞いていて、二つのことが頭をよぎりました。

一つは我が子が小学生の頃、近所のご婦人を自転車ではねてしまいました。というよりぶつかったのです。そのことを知り、妻は小学生の本人を連れて何度も謝罪と見舞いに行きました。小さな子どもとの衝突でしたが、道路に倒れ、顔面は大きく腫れ上がり、起こした事故に息子は蒼ざめていたのです。

ご家族には相当の御怒りを受けましたが、ご本人は最後には、「もう大丈夫だから来なくて良いよ」と気遣って頂きました。今回の状況と同じですが、田舎である故に最低限の行為(謝罪)で済んだかたちとなりました。それでも、わが家族はその事故のことを心にずっと引きずることになったのです。

もう一点は、「『親の管理下』という名の責任」がどこまで及ぶかです。私達の子どもの頃とは状況が違うかも知れませんが、故意によらない事故の防止をどうやって防ぐか? ということになります。

共稼ぎの勤めを辞めて、夫婦どちらかが学校に迎えに行き、近所の公園にも行かせず、ずっと家の中でゲームをさせていない限り、この手の事故は完全に防げないと考えるのです。

この法制の判断が定着したとしたら、日本の子育て環境は大きく変わるでしょう。後退ではなく、根本的な子育て・育児の変容を迫られてしまいます。今まで以上に子ども達の健全な成長は阻害されるでしょう。

アメリカでは子どもを学校に迎えに行かないと、避難されると言います。近くのコンビニに、「ちょっと行ってくるね!」と言われて、「行ってらっしゃい!」などと単独行動させたら大変なことになる! と言います。

003「犯罪に遭わないための自衛手段」なのです。でも、今回のことは違います。「犯罪を犯させないための自衛手段」を迫られているのです。

司法判断と一般社会の常識が百八十度違う事例を見てきましたが、私達には理解できないルールや処罰が多いように感じます。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

随想