「貧しくても豊かな時代」=生かされている意味さがし(41)

41 貧しくても豊かな時代=生かされている意味さがし(41)

昭和三〇年代に新潟地震と第二室戸台風、豪雪と自然災害で大きなダメージを受けた我が家も決して裕福ではありませんでした。

外観は「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」宅のような家でした。電話もなく、テレビも東京オリンピックを機にやっと買い揃えました。ご飯は都市ガスがもったいないので、裏の畑の前で一斗缶の上にお釜を乗せて薪で炊いていました。

今の若い世代のみなさんは驚愕に感じるかも知れませんが、冷蔵庫には「鍵」がついていました。

テレビも観ない時は付属の緞帳(どんちょう)のような布をかけていました。ラジオのステレオ放送を初めて経験したとき、右のスピーカーと左のスピーカーのそれぞれの音には、耳を疑ったものです。

子どもなので食べ物には執着があり、今でもチーズとサラミソーセージを初めて食べた時のことを鮮明に覚えています。

大企業とはいえ平社員の父親の家庭は、遠足の弁当は卵焼きと赤いウインナーが定番でした。ご飯も普段は梅干しが防腐効果も兼ねて真ん中にドンと乗っていますが、その日は、甘い「桜でんぶ」が豪華さを演出しています。

一方、友達の父親は親父と同じ会社の幹部でした。おかずは見たこともないような材料とバリエーションで構成されています。おかずの交換を申し出て快諾され、当方のありきたりのウインナーとサラミソーセージを交換したのです。

当時、肉をお弁当に入れてくる!というのは考えられなかったので、サラミソーセージは「肉」のカテゴリーで興奮しました。

チーズ初体験は、父親の接待に同行し、ゴルフ場と遊園地が併設しているレストランで食べたのが最初でした。

チーズナイフで切られた波型のチーズが斬新でお菓子でもケーキでない触感に感動したものです。その後、我が家では牛乳の配達と一緒にチーズ一個が毎朝配達されてきました。

今は飽食の時代。「伊勢えび」も「アワビ」も「キャビア」も「ふかひれ」も食べられます。

牛肉もA5ランクしか食べない! などと「たわごと」を言っている時代です。

飽食=豊か、なのでしょうか。ジャンクフードに慣らされた現代人の味覚は、食べ物の美味しさを豊かさとして捉えているのでしょうか。

少なくとも今の「マスクメロン」より、昭和時代の近所の畑の「マクワウリ」の方が感動的だったし、棒が刺さっている「ただのアイスクリーム」も、練乳のような口の中の膨らみはとても新鮮だったような気がしています。

既に、人間は豊かさを実感できない悲しい生き物になっているのかも知れません。

003「美味しい」、「旨い」という言葉は、素材から吟味して時間をかけてつくる母親や祖母の手からは離れていっているのか、考えてしまいます。

家庭の台所から包丁が無くなる日も近い! と感じている今日この頃です。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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