「公務員は必要か~三公社五現業の時代から」=明日を向いて、故郷を信じて(9)

9 公務員は必要か~三公社五現業の時代から=明日を向いて、故郷を信じて(9) 

DSCF6200 今や死語になってしまった「三公社五現業」という言葉があります。 日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社の三公社(今でいうJR、JT、NTTなどとその関連企業)と、郵政・造幣・印刷・国有林野・アルコール専売の五事業を指して以前はこう総称していました。社会科のテストの必須問題でしたね。 三公社は中曽根内閣主導で民営化され、五現業も国有林野事業を除いて民営化されたり独立行政法人に移管されてしまいました。 その昔、三公社はゆるぎない公務員でしたが、今時のスマホを手にしている世代には分からないことでしょうね。あんな親切な駅員さんだって、国労・動労に入っていて、本人・家族を含めて福利厚生で電車に格安乗車していたというのは昔の話(自治体にはこういう制度はないですが)。

前置きが長くなりましたが、民営化は「公務員の仕事は民間でもできる!」という筋道をつくりました。郵政の民営化が記憶に新しいと思いますが、「公務」と思われていた仕事が、ともすれば「営利事業」に転換されるわけです。 お役所仕事には「法廷受託事務」という、括りでは国や県が本来果たすべき役割に係る事務、例えば国道の管理や戸籍、生活保護、パスポートの発給などの仕事もあります。許認可、承認行為もほぼこの範疇ですね。

一方、「自治事務」は自治体で行う事務のうちの法廷受託事務を除いたものですから、ある意味では雑多で相当なボリュームの事務があります。介護サービス、児童・高齢者福祉、施設管理などがそれにあたりますから、極論を言えば、自治事務のルール化が進化すればかなりの事業や事務を民間ベースでやる!という発想も出てくることになります。業務委託、民営化、近年の指定管理者制度などは官(公共)から民(企業等)への事業転嫁の象徴でしょう。 とすれば、一般論で言えば、公務員はその分不必要になるだろうという考え方が自然です。ですが、経験上、そういう簡単なものではないと思っています。

昭和四十~五十年代前半の事務の種類と量を、平成期の成熟しつつある現代と比較すれば、歴然です。 その昔は、土木(建設)というセクションが一つあれば、道路整備、維持管理、都市計画、加えて河川・港湾や下水道などの事業を建設省との縦割りの枠の中で全てやっていたわけです。 今は、その種別ごとの単独のセクションをつくってやらないと、中核都市以上では対応不可能だと思います。

一つのセクションで担当していた公園だって、都市計画公園(環境公園)、農村公園、児童公園、町内会が所管する子どもの遊び場と種類も多く、補助金の出所によって担当する課を分ける必要も生じてきました。 更に「トヨタの森」など民間主導の公園があったり、ビオトープなどの公園に近い(似た)環境・共生空間もあります。とても以前のように一人でやれるような事務ではなくなってきています。 住民の幅広いニーズや活動が、それごとに自治事務を複雑化、重層化させてきたのです。 では、どのように自治体と公務員は変貌していくのでしょう。

公務員制度に守られて鋭意努力を怠った自治体の職員は、既に民間を牽引する!という力を失いつつあります。これは公務員自身の責任でもあるのですが、前述のように社会・国民の責任という一面もあります。 私は自治体の公務員は大幅には減らせないと思っています。職制や雇用形態、身分の見直しはあっても、三公社五現業のような大規模な公務員削減はできないと思います。 ただ、民間活力への依存はより加速し、企業や学識者に主導され、あるいはマスコミの煽動に乗り、企画・政策展開できる有能な職員は埋没し、消え去っていくと思っています。そしてそのことを危惧した政府や社会が、次なる公務員改革に本気で乗り出すと想像しています。

003 私のデスクの脇には以前首長をしていた会長がいますが、「十万程度の人口の役所は優秀な職員が五十人いれば運営できる」と本気(?!)で言っていました。いささか極端な話とは思いつつ、そういう発想をする人が世の中には意外と多いのかもしれないと思うこともあります。 公務員は必要ですが、「在り様」は大きく変貌していくのでしょうね。

〈松谷範行氏著作:「明日を向いて、故郷を信じて」より〉

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