人生設計はいつまで変更できるか=生かされている意味さがし(70)

70 人生設計はいつまで変更できるか=生かされている意味さがし(70)

「将来こうしたい」「あんなことに挑戦してみたい」という思いを実現したり、「一念発起できる年齢はどの辺が限界なのでしょう? 個人差はあるし、その人の意思の持ち方で随分変わるとは思うのですが……。

最近の自分を考えてみると……、今なにかしようと思っても駄目だし、百歳まで生きるというエネルギーは備わっていない。無駄なことはやめとこう! という思考回路が優先しているように思います。

「おおっ、夏だ! 海水浴だぁ!」などと浮き足立つけど、水着は当の昔に処分されているし、波打ち際の事故を聞くと、近くの温泉で年寄りらしくしていよう! と諦めてしまいます。というより気持ちが萎えてしまいます。

「久しぶりに海に潜ってサザエ採り」なんてもってのほか。「あんた、歳を考えなさい」「サザエなんかスーパーで三個三百円で買ってきたほうが余ほど安全で美味しいわ」と<家庭の上司>に一喝されてしまいます。

スキーで三十度の斜面を華麗?!に滑っていた昔を想像するも、次の瞬間に骨折して、「年甲斐もない!」と、穴をあけた職場で失笑を買っている映像も浮かんでしまって、意気消沈となります。「華麗」どころか「加齢」でスキーもお蔵入りです。

自宅も五十歳台半ばで二度目の建設。やっと思い通りの「終(つい)の棲家」を作ったものの、子どもたちは帰ってこないし、跡を継ぐ気配もありません。

バブル期の気持ちが少し残っていて、「よし、庭に露天風呂でも造るか」と本気で考えても、「一体、この庭もそうだけど誰が将来管理していくのか」と考えて挫折するのも早いのです。

003 一日の雨でググッと成長して苔の間から出てくる雑草の草むしりで腰を痛めてしまう自分に、将来の夢を語る資格はないのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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