「開花した大宮の桜」=生かされている意味さがし(58)

58 開花した大宮の桜=生かされている意味さがし(58)

三月半ば、仕事で上京する機会がありました。昔に比べて地下鉄や関東圏の鉄道網が発達しているので、池袋や新宿、神奈川方面は大宮で降りて埼京線や湘南新宿ラインに乗り換える方が利便に感じます。

今回も新宿での会議だったので、上越新幹線を大宮で乗り換えて新宿まで快速で向かいました。その直後に、車窓の外に目をやると桜が満開になっているではありませんか。

いや、正確には少し葉桜になりかけています。そこには「大宮 操の桜」という看板が立っていました。

大宮操車場の川津(カワズ)桜(ザクラ)。樹齢百年だそうです。二月中旬から開花するというのだけれど、自分はつい一時間前、川端康成の「トンネルの向こうの雪国」の景色を見ていたはずです。山ひとつ越えて関東の春には驚かされます。

とくにこの「操の桜」は、私がお気に入りの福岡の大濠公園周辺の桜より早い開花だと思います。

同じ日本人でありながら、狭い日本という国に住んでいながら、この季節感のギャップを、時空間をどう理解すればいいのだろう?! と頭を悩ませてしまいますね。

桜の木も他の草木もその場所で「命」をもらったが故に、その地に則した生き方をしなければなりません。

操車場に咲くその桜の木も、ひょっとしたら新入学の子ども達を見守る季節に花びらのシャワーをプレゼントしたかったのかも知れません。

新潟の桜は、新学期も始まり、四月の中盤から後半に咲き誇ります。お花見も賑わいますが夜は寒くてビールで乾杯するにはちょっとした勇気も必要です。

そのタイミングでの開花も「春の息吹」には間違いないのですが、マスコミの盛り上がりはすでに終わっていて、弘前城の桜と同様「晩春の話題」に近いものがあります。

どこで開花するのかは前述のように「その地に則した」タイミングなのでしょうが、人間だって芽吹きも、開花も、散り際も人それぞれです。

早咲きの大成した人を羨んでいても、実は自分は「大器晩成」という結果だってあります。羨ましく思っていた早咲きの人はすでに隠居の身かも知れません。

私は、一生に一度、誰でも「輝く時間」があると思っているのです。桜のように淡い色だったり、桃色のような強い色だったり、人に愛でられている時間が長かったり、あっという間だったり、あるいは人に愛でられることなく山里にそっと咲いていたり……。

でも、その時間は必ず「ある」と思うのです。その時間を見失うことなく、ここだ! と思うことと、その与えられた時間を精一杯「生きる」ということだと思うのです。

それは、自分自身が「生きた証」を感じ取れるという時間でもあります。

桜は日本人にとっては特別なものですが、雪国の人達にとっても特別なものでもあります。

春の息吹を自分の人生と重ねてみたくなる季節です。

003早春の風に身を任せている大宮の<操の桜>が、雪国の私にそんな思いをプレゼントしてくれました。あっ、そうそう、今度福島県冨岡町の桜を見に行きたいなぁ~。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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