「老いる不安」=生かされている意味さがし(95)

95 老いる不安=生かされている意味さがし(95)

義母の認知症が始まりました。二年前位に、「あんたは誰だったかのぉ~」と言われ、「お義母さん松谷です」という会話が始まりでした。

その時は、「暗かったから良く分からなかった」と笑い話で終わりましたが、今日は近所の知人から電話あり、自宅から二百メートルも離れていないところで迷子になっていたらしく、「恥ずかしいが家の近くまで連れて行って欲しい」と別のご近所の方にお願いしていた! というのです。

容易に想像できることなのですが、身辺自立は出来ているのでまだ大きな負担にはなっていないようです。ご近所の皆さんには、会う人会う人に同じ話を長時間するというご迷惑もかけているらしいのです。

さて、実夫なり義母なりの認知症の心配をしている場合でなく、当の自分も、「海馬が萎縮している」のではないかと心配する年代になってきました。

突然、問い質されると、「昨日の夕飯は思い出せても、今朝の朝食が思い出せない」なんてこともあったりなかったりします。

親父には、「何回も同じ話を聞いたよ!」と呆れながらも伝えていますが、我が子達からも、「おとう、前にもその話を聞いた」と言われることもあります。かなりの危険信号ですね。

「忘れる」ということがとても不安に思えて、ストレスとなって海馬を萎縮させ、本当に物忘れが進行してしまうのでしょうか。

ある学者さんは、「忘れてもいいんです」というけれど、そりゃ出来れば覚えていたいし、対人関係や、仕事の話は簡単に忘れた! とは言えませんよね。

こういう不安にどう立ち向かっていくのか、残念ではあるけれど症状が具体的になったとき、家族と共にどう向き合っていくのか……。若い頃気にもしなかった人生の重圧がそっと忍び寄っています。

003この本を書こうと考えたきっかけのひとつでもあるのです。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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