「美味しく戴く」=生かされている意味さがし(76)

76 美味しく戴く=生かされている意味さがし(76)

食べ物は、神様や先祖に感謝して有難く戴くものなのだけれど、我が家でも「戴きます」という言葉はすっかり習慣化(常態化)していて、「感謝」という意味合いを思い出しもせず、目の前のおかずを口に入れる順番を考えていたり、見定めをしています。

実りに秋に、ちょっとだけ農家の人たちの苦労に感謝するのだけれど、漁師や畜産家、その食材を毎日淡々と加工している人たちへの思いが無いことに反省してしまいます。それどころか、その食材に感謝を忘れている自分に気が付くのです。

先日、外食をしていました。「行列の出来る寿司屋さん」で、お刺身やら握りを頼んで、お酒も飲んで「有難く戴く」なんて言葉が、酔った勢いでビールの炭酸のように消えてなくなっていました。

と、その時、小さなお皿に醤油を足しながら、「相変わらず塩分取り過ぎ」と反省しつつも、ドバッ!っとネタを醤油に浸けて食べている自分に変な感覚が湧いてきたのです。

「あれっ! 俺は本当は魚が好きなんじゃなくて、醤油とわさびを浸けた食材が好きなだけじゃないのか? そういえばトンカツも好きなんじゃなくて、ソースをかけた揚げたての衣が好きなだけじゃないか?」……、と。

調味料で食材を想像してしまう時もあります。調味料の味で素材の良し悪しを判断したりしている自分もいます。

人生と同じで、「俺は物事の本質が分からず、核心の部分を見過ごして生きているかも知れない。この醤油が俺をダメにしている」……。訳の分からない感覚を箸袋にとりあえずメモしたのがこの言葉でした。

飾られたり、デフォルメされた目の前のモノに心を奪われて本質・核心を見逃してしまう、食材を美味しく戴くことは、人生の心眼を磨くことでもあるのです。

直後に、テレビでタイの青年がニューハーフに変貌を遂げていく映像がありました。心眼を磨いていないと、時には付き合って結婚を決意した相手が自分と同じ「イチモツ」を持っていた! ということにも遭遇するかも知れない時代なのです。

食材を吟味する。それは結婚する前に一夜を共にして、翌朝のノーメークの相手を見て、今後も食べるか食べないか(結婚するかしないか)、を判断することと同じなのであります。(笑)

話題を戻して、テレビで「最近の子どもに味覚障害がある!」というニュースがありました。ジャンクフードや、濃い味に慣れてしまった世代の現代病かも知れません。

社会の責任でもあり、親の責任でもあります。日本の食の文化は、風土と歴史と、日本人の味覚、知恵、そして感謝に心で培われてきたものです。

003「生きる」と同時に「食べる」という根本的なものを、もう一度見直して欲しいと願っています。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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