「秋冬」=生かされている意味さがし(59)

59 秋冬=生かされている意味さがし(59)

十一月も暦のうしろのページで待っていて、雷と一緒に降る「あられ」も冬の到来が近いことを告げています。新潟の冬の準備は十月の末から始まります。

こたつの用意をして、灯油のポリタンクを持ってガソリンスタンドに並び、物置からスノータイヤを引きずり出して、冬囲いを庭師に手配します。

一年の巡りが早く感じるのはいくつ位の年齢になってからでしょう。瞬く間に過ぎ去る季節を惜しむことが多くなってきました。

今、こうしてパソコンを打っていても、普段なら光が差し込むとブラインドを下ろすのに、今日は何故かディスプレイに揺れる木漏れ日を楽しんでいます。この影でしか、存在を私に伝えられない紅葉もあと幾日かで風に誘われてどこかにいってしまいます。

秋が物悲しいのはどうしてでしょう……。

いつか、「人が歌に聞き入るのは悲しいとき・寂しいとき」と誰かが言っていました。エネルギッシュに活躍しているときは、「歌は聞かない」のだそうです。

ふと寂しくなって、辛くなって自分を見つめ直すから、自分に寄り添う歌が心に響くというのです。

そういえば、秋になって、SDカードにある流行りの曲の中から中島みゆきなんかをチョイスしたりします。

003自分をさらに追い込むような曲の選択をしているようで、少しおかしな気もしますが、身体の中にも「秋」を沁みこませる作業なのでしょうか。

自分の終わり方をふと考えてしまいます。伯父の危篤が続いています。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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