「本当に<孫>は<子>より可愛いか?」=生かされている意味さがし(82)

82 本当に<孫>は<子>より可愛いか?=生かされている意味さがし(82)

今回は結論から言います。「可愛い」です。

目に入れても痛くない! ということはないと思いますが、孫との時間は無類の喜びの時間です。ただし、その喜びを味わえる時間にも限界がありますが(笑)。

さて、どうしてでしょう?

私なりに考えてみました。たぶん子育ての経験の有無と、お互いの年齢の差、自身の「精神的余裕」と「無責任さ」が孫への愛しみに繋がると思うのです。

自分の子どもに対する子育てというのは、結婚して初めての経験でしょうし、どうすれば喜んで、どうすれば泣くのか、なかなか理解できない場面もあります。加えて夫婦二人の生活から子どもが増えると、とたんに生活を維持するのに精一杯になります。

余裕がなく、子どもの心理も分からないから、「子育てを凌ぐ!」ことはあっても、「子育てを味わう!」という感覚まで至りません。子どもが成長して自我も確立されると、親子にも関わらず相手の行動に怒りを感じたり、喧嘩になったりもします。

ところが孫となると、はな(最初)から生きてきた年月の差に余裕をもって相手(孫)を見守ることができます。「所詮、孫のこと」ですから、飲み物をこぼしても、花瓶を割られても「仕方ないかぁ」で済まされます。生活力も若い頃よりは多少ついていますから、余裕を持って接することも出来ます。

究極は、相手をするのが嫌になったら妻とバトンタッチするか、若夫婦に返還するだけです。楽しい時間だけを自分の都合で決められる「無責任」という、何とも軽い立ち位置が、「可愛さ」を増幅させてくれるのです。

子どもは素直です。何でも聞いてきます。水族館の帰り道に高速道路でフェンスに激突している車がありました。VICSデータでナビでも事前に教えてくれます。

まず現場を見て、「なんでぶつかったの?」、発煙筒に、「何で煙が出ているの?」「火事なの?」、ナビの表示に、「なんで(表示が)黒と赤なの?」「なんでパトカーがいったの?」と、「なんで?攻撃」が数分続くときだけは、眠っていて欲しいなぁ~と、その純粋さを恨むこともあるのです。(笑)

最近は、「じいじぃ、ドライブに行こう!」と誘われます。そのドライブは必ずおもちゃ屋さんがルートに入っているのです。

003無類の可愛さとの引き換えに多少のお金も掛かることを付け加えておきます。

一句―。

幸せもお金で買える時世かな……

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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