「旬を味わう」=生かされている意味さがし(61)

61 旬を味わう=生かされている意味さがし(61)

体長が六十センチ以上もあろうかという「鰹」を太平洋側の知り合いから送って頂き、まな板に乗りきらない魚の処理(捌き)を久しぶりにやりました。

そうそう、北海道の生鮭を頂いた時以来でしょうか。元来、魚の捌きは自分でやるのですが、こういう大きい魚には手を焼いてしまいます。

日本海側では鰹を好んで食べる人は少ないように思います。魚の臭みをニンニクや生姜で消して食べるという習慣も一般家庭では珍しいことでしたでしょうし、新鮮な鰹そのものが流通していなかったということもあるでしょう。

酢で〆ることはあっても鯖や鰯も生で食べることはなく、煮付けにする!という家庭が多かったのではないでしょうか。

その鰹を捌きながら、我が家では食べきれない分をどう処分しようか、「あの家は鰹は嫌いだろうな」「あの家は今日中(新鮮なうち)に食べて貰えないかな」といろいろ思案しているうちに柵(ブロック状)まで完成。

その一つを刺身にして妻と試食。あれっ? まったく臭みもなく醤油をつけて食べると「鮪(まぐろ)の中トロ」と区別がつかないのです。夫婦でペロリとたいらげながら、「そうだ!この感じは……」と思い出しました。

食べ物で嫌いなものは沢山あるのですが、高級店での新鮮な牛肉、採りたての雲丹(ウニ)、九州のゴマサバ……。本物、旬の食材は本当に美味しいと思うことがあります。

「今まで(一番最初に)食べた食材はなんだったのだろう?」と思ったりもします。

野菜だって、果物だって同じです、長野のとうもろこしはフルーツでした。青森のゴールドラッシュの味はとうもろこしの概念を変えました。淡路島の玉ねぎも生で食べずに炒めたりすると「もったいない」気持ちになります。熊本の「はるか」という苺はスイーツを超えていました。

003 旬のものは美味しいということを改めて思い知らされます。今のコンビニやスーパーは一年中何でもあります。本当に美味しいものを私達は忘れてしまったような気がしています。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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