「住職の説法を聞く」=生かされている意味さがし(34)

34 住職の説法を聞く=生かされている意味さがし(34)

地域でスタイルは違うかも知れませんが、私の地域では、お葬式(告別式)の読経が終わると、喪主の挨拶の前にお寺の住職の説法あるいはお別れの言葉があります。稀に前日夜のお通夜の場面で話をするお坊様もいらっしゃいます。

六十歳も目の前になると、結婚式より葬式の数が圧倒的に多く、会社、友人、親戚を含めれば月に二回は葬儀場、というのも珍しいことではありません。その度にそれぞれのお坊様や宗派に沿ったありがたいお話を聞くことになります。

何十回も聞いているので耳が慣れていて、興味がある話、つまらない話、嘘・本当の話などいろいろです。学校の先生で現役、OBのお坊さんの話も独特です。中には他の宗派を批判し自分の宗派の正当性を説くお坊様もいらっしゃいます。つまらない話は早く止めて欲しいと思うし、初耳の話はもう少し聞きたいと思うこともあります。

ところで、お坊様は頻繁に「説法」を話す機会があるわけで、どの位のパターンの話をするんだろう? 持ちネタがあるのかな? 本山から習ってくるのかな? といろいろ推測をしていました。

ところが、〝Yahoo!〟で調べたら、説法のネタ本があるわ、あるわ、入門編から、震災復興で求められる説法ネタまで様々です。

今どきの世の中ですね。自分もこれを使って講演会くらい出来そうだな! と良からぬ思いを抱いたりします。

003 でも、修行を積んできたお坊様だからこそ説得力があり、慈悲の心でお話をされて、参列者の心に沁みるんだろうな?! とも思うのです。

因みに、友人のお坊さんは歌が上手く、お斎の席で説法を始めると、「喋らんでいいから歌唄え!」と檀家にやじられるのだそうな……。

〈松谷範行氏著作:「生かされている意味さがし」より〉

この記事はブログ管理者からの無理な申し出を、筆者から受け入れて頂き掲載しているものです。

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